第2章:精霊人形がいる日常

(1)

〔廊下〕

主:おはよう。ジル。

 

G:おはよう、アストリッド。

 

彼は笑顔で挨拶を返してくれた。

 

ジルが目覚めてから今日で3日目。

彼の笑顔は、いつも大輪の薔薇みたいに艶やかで…私はちょっとドキドキしてしまう。

 

G:アストリッド。

  今日はどんな予定なのかな?

 

主:そうね、今日は街までお買い物に行くつもりよ。

  …そうだわ、ジルも一緒に行く?

 

G:ああ、よろこんで。

 

主:あ…でも、朝食の後片付けをしなきゃいけないし…そうね、1時間後に出掛けましょう。

  それでいい?

 

G:………………。〔少し思案顔〕

  ああ、いいよ。では、1時間後に。〔微笑む〕

 

〔ジル退場〕

 

そう言うと、ジルは私の前から立ち去った。

 

ジルと…精霊人形と初めてのお出掛け。

楽しみだけど、…でも、大丈夫かな…?

 

S:何?ジルと出掛ける約束したの?

 

立ち止まっていた私に、声をかけてきたのは叔父さまだった。

 

主:ええ。…でも、大丈夫かな。

  あまり考えないで、つい誘っちゃったんだけど…。

 

S:まあ、大丈夫じゃないかな。

  これまでのところ、外見にしろ、言動にしろ、彼が疑われる要素は見当たらないからね。

  1人での外出はさすがにまだ心配だけど、君が一緒なら、まあ、問題ないだろ?

 

主:そうよね。ジルは本当に人間みたいだもの。

 

S:………でもさ、アズ。

 

主:?

 

S:その“人間と変わらない”ってことが、逆に心配でもあるよね。

  今のところジルは僕たちに友好的だけど。

  でも、もしも人形が人間と変わらない心を持っているとしたら、文献に書かれていた“絶対服従”はありえないってことじゃないかな。

 

それは私も同感だった。

 

別に、ジルを家来にしたいわけじゃない。

だけど、私はジルのオーナーなのだ。

万が一にもジルが人を傷つけたりするようなことがあっては困る。

 

もちろん、ジルがそんなことをするなんて思ってない。

 

でも。

「人形は人間にとって素晴らしいだけのものじゃなかった」

叔父さまのあの言葉を、私は忘れてはならなかった。

 

S:まあ、とりあえず、具体的な不安要素は今のところないわけだし。

  むしろ、あの外見が街では目立ちすぎるんじゃないかってことの方が心配なくらいだよ。はは。

 

そう言って叔父さまは笑った。

 

 

〔公園〕

主:…ジル、ここで少し休んで行きましょう。

 

G:そうだね。

 

公園にやって来た私とジルは、池のほとりのベンチに腰かけた。

私たちは、街での買い物を終えたばかりだった。

 

主:荷物、ありがとう。重かったでしょう?

 

手に入れた品は、市場を一回りする間に一抱えほどにもなっていた。

 

G:いや、これくらい何でもないよ。

  しかし、ずいぶんな量になったね。

 

主:…そうね。

  でも、私もまさかこんなことになるなんて思わなくて。

 

そう。買ったのは主に食料品だったのだけれど。

買い物をするたびに、お店の人は必ずおまけをしてくれて。

その結果、必要な分をかなり上回る量になっていた。

 

今、改めて思い出してみると、お店に立っていたのはほぼ男の人だった。

………もしかして。

ううん…たぶん。

みんな、ジルを女性と勘違いしていたと思う…。

 

綺麗な人って、いつもこんなに得をしてるものなの???

 

…………………。

 

………まあ、ジルが特別なのね。…うん。

 

そんなことを考えていたときだった。

 

G:…?

 

ジルが首を動かした気配に、私は彼の足元へ目をやった。

そこには見覚えのないハンカチが落ちていた。

 

着飾った見知らぬ若い女性1:…ごめんなさい。それ、私のハンカチですの。

              風に飛ばされてしまって…。

 

着飾った見知らぬ若い女性2:…ええ、本当に悪戯な風ですこと。

              失礼ですけど、それ、拾って下さる?

 

………風なんて、吹いてなかったけど。

 

G:ええ、もちろん。

 

女性1:〔声をひそめて〕ほら、この声。やっぱり男性よ…。

 

女性2:〔声をひそめて〕そうね、だったら、もっと話をひっぱって…。

 

ジルはハンカチを拾うと、女性の手を取り、その手のひらにハンカチを置いた。

 

G:どうぞ、レディ。

  悪戯者の風には十分お気をつけください。

 

女性1:…え、ええ。〔頬をそめる〕

    ミスター、こうして出会ったのも何かのご縁ですわ。

    よろしかったらぜひお名前を…。

 

G:レディ、私は彼女の僕です。

 

そう言うとジルは、私を見た。

 

G:彼女に全身全霊を以って仕えること…、それがここに私がいる唯一の理由なのです。

  ですから、貴女に名を名乗るような立場にありません。

  さあ、そろそろよろしいですか、姫。

 

主:え…ええ。

 

ジルは荷物を軽々と抱えると、私の手を引いてベンチから立たせた。

 

G:では、レディ、ごきげんよう。〔にっこり〕

 

女性たち:…ご、ごきげんよう。

 

まだ何か言いたげな女性たちを置いて、ジルは私の手を取ったまま歩き出した。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

<一週間後>

 

〔リビング〕

ジルと暮らすようになって1週間。

 

まだたった1週間だったけれど、このお屋敷にジルがいること…それがごく当たり前に感じられるようになっていた。

 

〔呼び鈴〕

 

あ、お客様。

 

私は玄関に向かった。

 

〔暗転〕

………………。

 

 

〔暗転明け・リビング〕

玄関で1通の手紙を受け取った私は、リビングに戻っていた。

 

受け取ったときすでに確認していたけれど、表に書かれた名前を改めて読み返す。

 

“アストリッド・エイミス嬢”

 

私の名前だ。

裏返して、こちらも再び名前を確認する。

 

“アーヴィン・ベックフォード”

 

この手紙を届けたのは、男爵家であるベックフォード家に仕える従僕(フットマン)だった。

彼はそこのご子息から、この手紙を私に届けるよう言いつかってここへ来たのだった。

 

でも私は、この男爵子息…アーヴィン様と面識はおろか、名前さえ知らない。

それなのにどうして手紙を…。

 

不思議に思いながらも、私は封を切って手紙を読みだした。

 

主:…………。

 

内容はお茶会への招待だった。

でも、問題はそれではなく、そのお茶会に集まるメンバーだった。

 

アーヴィン様は、私と同じく精霊人形のオーナーだという。

新しい精霊人形が目覚め、私の人形となったとことを知ったアーヴィン様は、ぜひ1度私たちに会ってみたいとお考えになって、このお茶会を催したとのことだった。

しかもこのお茶会には、他に2組の精霊人形とオーナーを招待している、と書かれていた。

つまりこのお茶会では、私たちを含めて4体の人形と、4人のオーナーが一堂に会する、ということになる。

 

〔ドアの開閉音・ジル登場〕

 

主:ジル。

  ねえ、これを読んで。

 

私は招待状を彼に差し出した。

 

G:何かな?

 

受け取ったジルは、それに目を落とした。

 

G:……なるほど。

 

そして一通り読み終えたジルは。

 

G:君は出席するつもりかい?

 

私は強く頷いた。

 

主:私、他の精霊人形に会ってみたい。

  ジルの他に精霊人形が3体もあったなんて知らなかったわ。

  もしかしてジルのお友達なの?

 

G:……そうだね。彼らとはずいぶん長い付き合いになる。

  ただ、なかなかの個性派ぞろいだから、君は驚くかもしれないね。

 

そう話すジルは、とても楽しそうだった。

 

ジルと同じ精霊人形。

……いったい、どんなお人形たちなんだろう?

 

お茶会は今日から3日後だった。

 

 

<3日後>

 

〔ベックフォード邸・外観〕

主:ここがアーヴィン様のお屋敷ね。

 

私は初めてやって来た男爵家のお屋敷を前に、少し緊張していた。

 

男爵子息アーヴィン様。

今日は精霊人形のオーナーということでお招きいただいたけど、どんな方だろう。

招待状をいただいた日から、あれこれ想像してみたけれど。……とにかく。

どんな方であれ、まずは失礼のないようにしなくちゃ。

でも……大丈夫かな、私。

貴族様に招待されること自体、初めての経験だし。

しかも、知らない人ばかりのお茶会なんて。

ジルは一緒だけど、本当は叔父さまにも来て欲しかったな…。

 

このお茶会のことを知ったとき、叔父さまは自分も行きたいと言った。

3体もの精霊人形に会えるのだ。誰だってきっとそう思う。

でも、招待を受けていない叔父さまが出席出来るわけはなく、叔父さまはお留守番ということになった。

 

G:慣れない場所で、迷子にならないように気をつけるんだよ。

 

主:ええ。

 

ジルに促され、私は歩き出した。

 

 

〔応接間〕

お屋敷に入ると、私たちは応接間に案内された。

 

そこではすでに招待客たちが集い、それぞれにくつろいでいたけれど。

この部屋は控えの間なのだろう。

テーブルには数種類の薔薇を活けた花器が置かれてはいても、お茶会のためのセッティングはされていなかった。

 

?:ふーん……おまえが新しいオーナーか。

 

まだ落ち着かない気分でいた私の耳に、その声ははっきりと飛び込んできた。

 

?:……………。〔主人公を見ている〕

 

見上げた視線の先にあったのは、アイスブルーの瞳。

澄んだ青い瞳が、私をじっと見下ろしていた。

 

…なんて綺麗な瞳だろう…。

 

その瞳に宿る、涼しげな淡いブルーは。

遥か頭上に広がる空の色にも、小さくとも強い輝きを放つアクアマリンの色にも似ていた。

 

?:……おまえ、年はいくつだ?

 

主:え?

 

唐突な問いかけに、私は思わず疑問の声を上げていた。

 

?:おまえ、耳が遠いのか?

  それともこんな簡単な質問も理解出来ないほど頭が悪いのか?

 

私に向けられた彼の言葉は、思いがけなく辛辣なものだった。

 

………………。

…ちょっと聞き直しただけなのに…。

 

そんなに怒らせるようなことを言ったのかと私は戸惑い、そして不機嫌を隠そうともしないこの人を少し怖いと思った。

 

主:えっと…17歳…です。

 

?:ふん、ちゃんと聞こえてたじゃねえか。ならさっさと答えろ。

  ………しかし、17にしちゃあガキっぽいな。

 

うっ…。

ひそかに私が気にしていることを…。

私はいつも実際の年齢より幼く見られる。

それって、ようするに大人の女性…レディにはまだ程遠いってことよね。

レディには及ばなくても、せめて年相応に見られたい…。

 

?:でもまあ、そう思って見りゃあ…。

 

ふいに、それまで疎ましげだった彼の目が、からかうようなものに変わった。

 

?:出るところは一丁前に出っ張ってるみたいだな。

 

……え?

…ええッ!?

 

〔?退場〕

 

それだけ言うと、彼はもう私に興味はなくなったとばかりに行ってしまった。

 

今、なんだかすごく恥かしいことを言われたような…。

……………。

…あ、あんまり追究して考えないようにしよう…うん。

 

あ。

そういえば、彼の名前も聞かなかったけど。

彼はたぶん人形…よね。

 

燃え上がるような緋色の髪と、冷たく輝くアクアマリンの瞳。

相反する色彩に彩られた彼は、非の打ちどころなく美しかった。

 

社交辞令などどこ吹く風、といったその言動よりも、それが彼を人形だと思った最大の理由だった。

 

正直、項のネジを除けば、見た目だけで精霊人形と人間を区別することは難しい。

強いて言うなら、容姿があまりに完璧すぎることが不自然と言えなくもない…という程度のものだ。

でも、だからこそ精霊人形は、人間に紛れて日常生活を送ることが出来るのだけれど。

 

?:…まったく、失礼な奴だな、ウィルは。

  同じ精霊人形として恥ずかしいよ。

 

つくづくあきれた…とでも言いたげな口調に、私は振り返った。

 

そこには、まるでおとぎ話に出てくる王子様そのもののような、美しい青年が立っていた。

 

?:彼の名前はウィル。

  ワイルダー家の人形だよ。

 

その“おとぎの国の王子様”は、さっきの彼について教えてくれた。

 

?:…おっと、そうだ。

  ウィルの紹介なんかする前に、君には僕のことを知ってもらわなきゃいけないね。

 

そう言うと、彼は私に向かってにっこりと微笑んだ。

その笑顔は、まるで辺りにきらきらとした光を撒き散らすように輝き、私はただ呆然と彼に見入ってしまっていた。

 

?:僕は伯爵家の息女グロリア・マクファーレンの精霊人形、ホブルディと申します。

  どうぞ以後、お見知りおきを。

 

さっきまでの親しげな態度から一転、彼はうやうやしくそう言って頭を下げると、私の手をとり、その指先に軽く口づけた。

ただの社交辞令とわかっていても、こういう“挨拶”にはついドキドキしてしまう。

 

主:……こちらこそよろしくお願いします、ホブルディさん。

  私は、アストリッド・エイミスと申します。今日はお目にかかれて光栄です。

 

ホブルディ(以下H):僕も貴女のような可憐なレディとお近づきになれて、心からうれしく思います。

  ところで、アストリッド嬢。これからはどうぞ、僕のことはルディとお呼び下さい。

  それから、僕たち人形に敬語も必要ありません。

  僕たち精霊人形は皆人間の僕。

  人間であられる貴女様に、敬われるような身分ではありませんから。

 

主:でも…。

 

と、言いかけたとき、私にある考えが浮かんだ。

 

主:だったら、ルディも私に敬語を使うのをやめて。

  私もなんだか落ち着かないわ。

 

H:…ああ、なんてお心が広い。

  人ならざる卑しい僕たちに、人と分け隔てなく接してくださるとおっしゃるのですね?

  なんと情け深く、尊いお考えでしょう。

 

大きく頷いているルディに、私はちょっと困った。

私はただ、お人形さんたちともっと親しくなりたい、そう思っただけなのだ。

そんなに褒め称えられるほどのことを言ったつもりはないんだけど…。

 

H:ただ、我がオーナーが側におりますから、その手前もございます。

  そのへんは適宜使い分けさせていただくということでよろしいですか、お嬢さん。

 

主:もちろんけっこうよ。

  私もそのようにさせていただくわ。

 

私もルディにつられて、気取った口調になっていた。

 

H・主:…ふふっ。

 

私とルディは、お互い顔を見合わせて笑った。

 

なんて人懐こい笑顔だろう。

こんな笑顔を向けられたら、誰だってつい笑顔になってしまう。

 

H:じゃ、また後でね、お嬢さん。

 

過剰なほど丁重な物腰から一転、ルディは軽やかにそう言って微笑むと足早に向こうへ行ってしまった。

 

ホブルディ…なんてきらびやかなお人形だろう…。

 

彼が立ち去った後も、私はまだルディのきらきらした余韻に浸っていた。

 

?:娘。

 

主:!

 

突然かけられた、低く、無表情な声に、私はドキッとした。

 

?:……………。

 

彼はいつからそこに立っていたのだろう。

思わず後ずさりたくなるほど、彼は私のすぐ側にいた。

黒い髪に濃紺のフロックコート。そして、白く冷たい光を放つ銀色の眼鏡。

彼のその姿は、この真昼にありながら「夜」を思わせた。

 

?:………………。

 

声をかけてきたはずの彼は、無言で私を見つめている。

私もまた、レンズの奥にある灰色の瞳から目を逸らせなくなっていた。

 

…ああ、彼はおそらく4体目の人形だ。

瞳に宿るのは鈍い銀光。従えるのは秘密めいた漆黒。

彼の美貌は完璧だった。

 

?:おまえも招待客の1人だな。

  準備は出来た。さっさと広間に行け。

 

主:えっ…?

  は…はい。

 

彼は私にそれだけ言うと、役目は終わったとばかりに行ってしまった。

 

……………。

……広間に行けって言われても。

…………………。

………広間はどこなの…。

 

G:……ふふっ。ジャックの無愛想は相変らずだね。

 

そう言ったのは、いつの間にか側にやって来ていたジルだった。

 

ジャック…。

それが、彼の名前なのね。

 

G:曲がりなりにもジャックに案内されたことだし、とりあえず行こう、アストリッド。

 

主:え、ええ。

 

あ…なんだか、ちょっと緊張してきた…。

ジル以外、知ってる人はいないし。

貴族様のお茶会なんて、初めてだし。

私、ちゃんと、恥ずかしくない振る舞いが出来るかな…。

 

G:アストリッド。初めての場所で緊張しているだろうが…さあ、胸を張って。

  誰の前であろうと、君は君らしく、何事も堂々と振る舞えばいいんだよ。

 

そう言ってジルは、私の手を取り、微笑んでくれた。

 

G:さあ、行こう。皆、待っている。

 

 

〔街中〕

G:……………。

 

お茶会は2時間ほどでお開きとなり、今、私はジルと2人家路についていた。

 

私は、まだふわふわした気分のまま、あの時間を思い返していた。

 

ウィル。緋色の人形。

彼のオーナーは、このお茶会に出席していなかった。

ウィルによると、体調がすぐれなかったためにやむなく欠席したとのことだった。

ただ、それ以上ウィルが自分のオーナーについて語ることはなく、結局彼のオーナーがどんな人物なのか、私はまったく知ることが出来なかった。

今日は会えなくてとても残念だったけど…きっと、そのうち会えるわよね…。


そしてホブルディ。金色の人形。

彼のオーナーは、伯爵令嬢であらせられるグロリア様だった。

20代前半といった年頃のグロリア様は、隣に並ぶルディに何一つ見劣りするところがないほどに美しい方で。

しかもその立ち居振る舞いは優雅さに溢れ、その上、初対面の私にもおやさしかった。

ああいう女性を本物の貴婦人というのね。

私もいつか、あんな素敵なレディになれる日がくるのかな。

 

そしてジャック。漆黒の人形。

彼のオーナーは、今日のお茶会の主催者、男爵家のご子息、アーヴィン様だった。

年齢は18歳。今日の出席者の中で、1番私と年が近い方ということになる。

アーヴィン様は、ずいぶん繊細な方のようだった。

アーヴィン様は、ご自分が催されたお茶会だというのに、誰に話しかけられてもうまくお言葉が返せず、ずっとおどおどとしたご様子でいらっしゃったのは、見ていて少し心配になるほどだった。

ただ、やはり新しい精霊人形とそのオーナーには興味を持たれたようで、その視線は、ジルと私に多く注がれていた。

そんなアーヴィン様は終始ジャックにべったり…という感じだったのだけれど。

ジャックの方は淡々としたもので、アーヴィン様を甘やかすわけでもなければ、邪険にするわけでもなかった。

気はとても弱そうな方だったけれど、きっと悪い人ではないわ。

 

そしてウィル。緋色の人形。

彼のオーナーは、このお茶会に出席していなかった。

ウィルによると、体調がすぐれなかったためにやむなく欠席したとのことだった。

ただ、それ以上ウィルが自分のオーナーについて語ることはなく、結局彼のオーナーがどんな人物なのか、私はまったく知ることが出来なかった。

今日は会えなくてとても残念だったけど…きっと、そのうち会えるわよね…。

 

新しい3体の精霊人形とそのオーナー。

ああ。これからも今日みたいに皆で一緒に過ごすことが出来たら、本当にうれしい。

私は胸が躍るのを抑えられなかった。

 

主:ねえ、ジル。また今日みたいなお茶会を持てたら素敵ね。

 

G:そうだね。私も古い友人に会えてうれしかったよ。

  皆、元気そうでなによりだった。

 

そう言って、ジルは懐かしそうな目をした。

 

………いつか、ジルから精霊人形たちとの思い出話が聞けたらいいな…。

 

と、ふいにジルは立ち止まった。

 

主:…ジル?

 

ジルの視線の先に、私も目をやる。

 

?:……………。

 

そこには美しい青年が立っていた。

端整な顔立ち。銀色の長い髪。ルビーを思わせる真紅の瞳。

 

…真紅の瞳?まさか…!?

 

?:久しぶりだな。ジル。

 

ジルの知り合いということは、やっぱり彼も人形…ということ?

 

G:ああ、イグニス。

  君も相変わらず元気そうで何よりだ。

  ところで、私の凍結が解かれたのを皆に知らせたのは君なのだろうね?

 

「凍結」…?魂が入っていない、いわばただの人形のときのこと…よね。

ということは、「凍結が解かれる」とは、人形を目覚めさせることね…きっと。

 

イグニス(以下I):そうだ。それも私の仕事のうちだからな。

     しかし、それよりもだ。

 

イグニス…そう呼ばれた、おそらく5体目の精霊人形は私を見た。

 

I:おまえがジルの新しいオーナーか。

 

主:…はい。

 

イグニスはじっくりと私を見た。

今日はいったい何度目だろう。こうして人形の視線にさらされるのは。

 

I:この娘がオーナーの座についたのなら…。

 

私が、オーナーの座についたのなら?

 

I:人形たちの運命が動き出すかも知れんな。

 

G:……!

 

〔イグニス退場〕

そう言い残し、イグニスは私たちの前から立ち去った。

 

イグニス。銀色の人形。

彼のその姿は、この夏の季節にあってなお、真冬の夜空に浮かぶ月を思わせた。

冴え冴えと美しく……そして冷たかった。

そして、彼の去り際の言葉。

あれは…。

 

主:…ジル。彼も人形なんでしょう?

 

G:ああ、そうだよ。

 

主:ねえ、“人形の運命が動き出す”って…どういうこと?

 

G:………………。

  ……イグニスの言ったことだからね。悪いが私にはわかりかねるよ。

  さあ、帰ろう、アストリッド。

  今日のことは、詳しくサイラスに話してやるといい。

  彼はずいぶん、今日の茶会に来たがっていたからね。

 

ジルはそう言って微笑んだ。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

〔キッチン〕

G:…………………。

 

夕食の後片付けを、私はジルとしていた。

ジルが食器を洗い、私がクロスで拭く。

 

これまで、叔父さまがいる間の家事はデイビスさんが請け負ってくれていた。

だけど、ジルの正体を知られることを心配した叔父さまは、しばらくは家の中に人を入れないことにした。

 

私もそれには賛成だった。

もしもジルの正体が世間に知れたら…きっとこんな風にのんびり暮らすことは出来ない。

 

でも、実のところ家事はかなりの労働だ。

家政婦さんに入ってもらえないとなると、雑事すべてを自分たちでやらなくてはならない。

もちろん、私はそのつもりだった。

寮生活となった今はあまり必要がなくなってしまったけれど、お爺さまの元に身を寄せる前はお母さんに習いながら私も一緒に家事をしていたのだ。

だから一通りのことは身についている。

叔父さまに家事をやってもらうつもりはなかった。

叔父さまはお仕事で忙しいんだもの。この上、家のことまでなんてさせられない。

ごく日常的なことくらい私1人でなんとかやれるわ。

そう思っていたのだけれど。

 

叔父さまはジルに家事を手伝ったらどうかと言った。

もちろん、人手を増やすことが1番の理由だったろうと思う。

でもそれだけではなく、叔父さまはジルをお飾り人形のようにただ遊ばせておくのは惜しいという気持ちがあって提案したようだった。

 

この話を持ちかけられたとき。

ジルはかなり困惑していた。

 

〔回想・リビング〕

G:君がこの屋敷に使用人を入れたがらない気持ちもわからなくはないが…。

  家事をするということは、お茶の用意や外出時のエスコートのようなことだけでなく、炊事や掃除や洗濯といったことも含まれるのだろうね?

 

S:ま、そういうことになるね。

 

G:……………。〔浮かない顔〕

 

主:ねえ、ジル。やっぱり、そういうお仕事は嫌?

 

G:……いや…そういうわけではないが…。

  ………………。

  私はこれまで、そういう類の仕事を求められたことがないのでね。

 

ジルによると、ほとんどの精霊人形は、王侯貴族、聖職者、豪商などの、つまりは地位とお金が十分ある人たちの持ち物で、家事のような日常の雑事を人形の彼がする必要はなかったのだそうだ。

 

主:初めてのお仕事は不安?

 

G:……まあ…そういうことになるかな…。

  ……………。〔曖昧な微笑〕

 

ジルはそう答えたけれど。

どうもそれは、ジルの本心ではないように私には思えた。

 

ジルは、これまでずっと身分の高い人々の持ち物として、裕福な環境でしか暮らしたことがないのだろう。

際立って美しく、特別で貴重な存在であるジルは、多くの使用人たちにかしずかれるような立場だったのかもしれない。

だとすれば、そういった仕事を彼が厭うのも無理のないことのように思われた。

 

主:ごめんなさい、ジル。

  私は、ジルに家事を無理強いするつもりはないの。

  だから

 

S:………。〔咳払い〕

  ジル。君の過去のオーナーたちはどうであれ、今のオーナーはアストリッドだろ?

  だったら、オーナーを助けるのは君の仕事じゃないのかな?

  もちろん、人にはそれぞれ違う役割も事情もあるんだから、家事を他人に任せても非難されることじゃないだろう。実際、僕だってそうしてるわけだし。

  だけど、炊事も洗濯も、人間が生きていく上で必要不可欠なものだ。仕事として卑しいわけじゃない。

  だから、もしも家事なんて下賤の者の仕事だと考えているなら、君はその考えを改めるべきだと思うよ。

 

G:…………。

 

主:えっと…ジル。

  ほとんどの家事は私1人でなんとかなると思うから…ジルは、ジルの出来ることを手伝ってくれればいいわ。

  叔父さまも、それでいいでしょ?

 

叔父さまの考えは正しいと思うし、このお屋敷は叔父さまのものなんだもの。

ここに住まわせてもらっている以上は、叔父さまの役に立つべきだとは思うけど…。

でも、ジルはお人形なんだし…。

それに。

 

G:…………。〔思案顔〕

 

ジルって、お料理やお洗濯を頼んでいい立場というか身分の人じゃない…って雰囲気が漂ってて、頼む方が心苦しいとでもいうか…。

 

S:聞いたかい?ジル。

  君のオーナーは、君を甘やかす方針のようだ。

  じゃがいもの皮剥きも、もやしのひげ取りも、家中のシーツとカーテンの洗濯も、煙突掃除も、ベッドや食器棚の移動も、全部1人でやるつもりなんだってさ。

 

………………。

お料理の下準備と、お洗濯はともかく。

煙突掃除や、お部屋の模様替えは、さしあたってする予定はないんだけど…。

 

G:……………。

  ………ふふっ。

  わかったよ、サイラス。

  正直、そういう仕事は、精霊人形にはあまりふさわしくないと思っていたのだが…。

  我がオーナーが家事に従事しなければならないなら、手伝わないわけにはいかないだろうね。

  アストリッド。さしあたって、私は豆のさや剥きでもすればいいのかな?

 

こうして、ジルは家事を手伝ってくれることになったのだった。

 

〔回想明け〕

そんなことを思い出しながら、私はお皿を拭き続けた。

そして、最後の1枚に取りかかろうとしたとき。

 

G:……アストリッド。

 

一足先に仕事を終えたジルが話かけてきた。

 

G:一応確認しておくが…今日が何の日か忘れていないだろうね?

 

主:大丈夫よ。今日は“接蝕日”ね。

 

接蝕日。

それは、オーナーが自分の魂を精霊人形に提供する日。

“魂の提供”…それは精霊人形を生かし続けるために必要不可欠な行為だった。

 

精霊人形は、器に擬似魂が宿ることで生を得ている。

擬似魂とは、人間が人形に命を与えるために作り出した人工的な魂だ。

生き物に宿っていない霊体…精霊から作られているという。

 

でも擬似魂は、人間が持つ本物の魂に比べ不完全で、擬似魂単独では器に宿り続けることが出来ない。

そのため宿り続ける定着力とでもいうべき力を、擬似魂は人間の魂からわけてもらう必要があった。

 

人形は、自分の擬似魂をオーナーに移し、オーナーの魂から定着力を取り込む。

そうして再び定着力を得た擬似魂を器に戻らせて、人形は生命を保つ。

この行為を“接蝕(せっしょく)”と言う。

 

接蝕は、生き物が持つ生理的欲求…例えば、食欲とか、睡眠欲とか、そういうものを持たない精霊人形が唯一持つ、身体的欲求だった。

そして接蝕の相手はオーナーに限られた。

自分を目覚めさせた人間でなくては、人形は擬似魂を移動させることが出来ない。

 

そしてこの定着力は一定時間を過ぎると低下してしまうため、接蝕は定期的に行う必要があった。

周期は2週間。

もし接蝕を怠れば、擬似魂は器から流出して、精霊人形は凍結状態…つまり、ただの人形に戻ってしまう。

そのため精霊人形とオーナーにとって、接蝕は何より大切な行為だった。

 

ジルは今日、その“接蝕日”を迎えていた。

 

主:接触の要領は、ジルを起こしたときと同じでいいの?

 

G:……ああ、そうだよ。

 

私は、すべてのお皿を拭き終えていた。

これからこのお皿を食器棚に戻さなくちゃならないんだけど…。

 

主:じゃあ、そろそろ始めたほうがいい?

 

G:そうしてもらえると、ありがたいな。

  ……………。

 

ジルはいつになく物憂げだった。

 

昼間はいつもと変わらない様子だったのに、ジルがこんな風なのは、もしかして接蝕を控えているせい?

 

普段と違うジルの様子は、叔父さまから聞いた精霊人形に関するある話を私に思い出させた。

彼の覚醒以後、叔父さまはより本腰を入れて精霊人形について調べていた。

 

精霊人形は擬似魂の定着力が弱まってくるにつれて、精神も不安定になるのだそうだ。

“精霊人形はオーナーに服従する”

この記述は、特にこの時期の人形のことを指しているらしい。

人形の、この精神不安定状態は霊体の不安定化によるものだ。

だから、通常霊体が不安定になることがない人間には感じることが出来ない感覚なのだそうだ。

簡単に言うと、精神の安定を欠いた人形は自我が極度に弱まり、結果、自分の生命の拠り所であるオーナーに服従せざるをえなくなる…そういうことらしかった。

裏返せば、霊体が安定している普段の人形は人間と変わらない精神状態であるから、オーナーに従わなくても不思議はない、ということでもあった。

 

主:じゃあ、始めましょう。

  えっと、場所は…、ジルのお部屋でいい?

 

G:ああ。

 

そう答えたジルの顔に、ほのかに安堵の色が浮かぶ。

ジルは微笑んでいた。

だけど、ジルのこんな物憂げな微笑を見るのは初めてかも…。

 

 

〔ジルの部屋〕

G:………………。〔浮かない顔〕

 

このお屋敷には使っていない部屋がいくつもあった。

もともと叔父さま1人で暮らすには広すぎるお屋敷なのだ。

叔父さまは留守がちなこともあって必要最低限の部屋しか使っておらず、ほとんどの部屋は手つかずになっていて。

その空き部屋の一室を、ジルは自室用としてあてがわれていた。

 

〔ドアの開閉音〕

 

S:いよいよ始めるんだって?

 

G:…サイラス。

  ………ここに、いったい何の用かな?

 

珍しくジルは不機嫌そうだった。

 

主:叔父さまも見学したいんですって。…ダメ?

 

G:…………。〔ため息〕

  わかったよ。君が許したことを、拒否する権利は私にはない。

 

ちょっと不服そうな口ぶりが気になったけど。

でも、とりあえず許してもらえたみたい。

 

主:じゃ、始めましょう。

 

G:………ああ。

 

そう答えると、ジルは私の前で体を屈め、立て膝をした。

床に片膝をつけた彼の目線は、私のつま先にあった。

その伏せた目に、私は初めて“人形の従順”をジルに見たような気がした。

 

G:……………。

 

差し出された額に、私は左手のひらを置いた。

 

しっとりとやわらかい、人間そのもののような肌。

 

だけどそこに体温はなく、その体が人間の肉体とは異質であることを示していた。

 

その事実を改めて噛み締めながら、私は瞼を閉じた。

 

〔暗転〕

心を静めて、意識をジルに向ける。

 

ジル…私はここよ…。

 

私はジルに呼びかけた。

 

ジル…。

 

ジル…。

 

…………。

 

……。

 

と、間もなく。

奇妙な感覚が私を襲った。

 

“乾く”とでもいうのだろうか。

冬、乾燥で手や唇がひび割れることがある。

あれが内側で起こっているような…。

苦痛…と言うほどではなかったけれど、どちらかと言えば不快な感覚だった。

 

どのくらいそうしていただろう。

その感覚が収まったところで、私は目を開けた。

 

〔暗転明け〕

G:……………。〔無表情〕

 

ジルは目線こそ私の顔のあたりに向けていたけれど、姿勢は片膝をついたままだった。

 

主:ジル…?

 

声に出して呼びかけてみる。

 

G:……………。

 

主:ジル?

 

もう1度呼びかけたけれど、返事はおろか、ジルは微動だにしなかった。

 

S:終わったんじゃないかな?

 

主:そ、そうね。ジルが言ってた通りだもの。

 

私はジルの額から手を離した。

 

接蝕を終えた精霊人形は、霊体の安定のためしばらく休眠状態になる。

これは人間でいうところの、いわば睡眠のようなものだった。

ただ、人間の睡眠と違って、休眠中の人形は、呼びかけたり、叩いたり、それこそ何をしても目を覚まさないらしい。

つまり、今、ジルは“ただの人形”なのだった。

 

私は改めてジルを見た。

 

G:……………。〔無表情〕

 

相変わらず美しかった。棺を開けたその日のままに。

 

でも、いかに美しくとも。

今、この人形に生命の痕跡は感じられなかった。

 

硬直した体。結ばれたきりの唇。そして、開いているのに何も見ていない目。

人形然とした彼は、部屋を飾る静物の1つとなって私の足元に膝をついていた。

 

“生きている”ジルを知っている今の私にとって。

すべてが停止したこのジルは“眠っている”というよりも“死んでいる”ように見えた。

 

“朽ちることない死体”…それが精霊人形という器の本性ではないだろうか。

その“死体”に、一時生命が宿る。人間によって、かりそめの命が。

 

私はこれからこの人形をどうしていったらいいのだろう。

 

正直、不安だった。

ジルを生かし続けることが、ではない。

ジルは穏やかな人形だ。落ち着いた、大人の人形。

でもそれは当然のことかもしれない。

だってジルは、人間の私たちよりずっと長い時間を生きてきたのだから。

 

そんなジルに感じた私の不安とは。

漠然としすぎていて、うまく言葉に出来ないのだけれど…。

しいて言うなら“精霊人形という存在そのもの”だろうか。

 

…………でも。

それと同時に。

 

私は、自分の心がこの精霊人形というものに、強く惹きつけられていることを感じずにはいられなかった。

 

 

第3章