第2章:精霊人形がいる日常

 

 

ホリー

 

象牙色の精霊人形。

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(1)

〔リビング〕

?:お茶のお代わりはいかがですか?アストリッド様。

 

主:ありがとう、ホリー。

  そうね、お願いするわ。

 

ホリー(以下Hl):はい。

 

S:僕にも頼むよ。

 

Hl:はい。サイラス様。

 

「ホリー」

それが、私が目覚めさせた精霊人形の名前だった。

 

イグニスに決断を迫られたあの日。

私は、精霊人形を目覚めさせることを選んだ。

 

私がホリーを目覚めさせてまもなく、叔父さまが帰ってきた。

叔父さまはすでに精霊人形の存在を知っていて、精霊人形が実在していた…そのこと自体にとても感動していた。

だから叔父さまは、ホリーを大歓迎で迎え入れてくれたのだった。

 

それから1週間以上が過ぎ。

今、私と叔父さまは、ホリーのサーブで午後のお茶を楽しんでいた。

 

S:ホリーの焼いたスコーン、おいしかったよ。

 

Hl:あのっ…アストリッド様のレシピですから…。

  お口に合うのはごもっともかと…。

 

S:レシピはレシピとしてさ。

  僕は君の技術について言ってるんだ。

  どんなに優れたレシピだって、それを再現できる技術がなければ、こういうものは作れないだろ?

 

今日のお茶に用意されたスコーンは、ホリーが焼いてくれたもので。

そしてこれは、ホリーが初めて1人で焼いたスコーンだった。

 

Hl:………………。〔困惑顔〕

 

S:ふふっ。

  オーブンから黒い煙がモクモク上がってるのを見たときには、この先君にキッチンを預けて大丈夫かと思ったけど。

 

Hl:………どうか、そのことはおっしゃらないで下さい。

 

主:そうよ、叔父さま。

  ホリーはあのときはまだ、オーブンの使い方に慣れてなかったんだもの。仕方ないわ。

 

S:ごめんごめん。別に嫌味を言ったつもりはないんだ。

  僕はむしろ感心してるんだよ。

  君自身これまでの経験があるとしても、目が覚めてからまだ2週間もたたないだろ?

  それなのに、もうこんなに家事が上達してるんだ。

  精霊人形は、見た目が綺麗なだけじゃなく、気が利いて、頭も良くて、手先も器用なんだなあって、君を見てるとそう思うよ。

  おまけに、素直でやさしいし。

 

Hl:…そんな。

  私は、そのようなお褒めの言葉をいただけるようなことなど、何ひとつしていません。

 

S:そうそう、そういう謙虚なところもいいよね。

 

Hl:………………。〔ますます困惑顔〕

  あの、…ちょっと、キッチンの方…片付けてきます…。

 

〔ホリー退場・ドアの開閉音〕

 

S:あれ。行っちゃったね。

  ホント、彼女は恥ずかしがり屋だなあ。

 

主:もう、叔父さま。

  あんまりホリーを困らせないで。

 

そう言いながら、私も叔父さまの意見に同感だった。

 

ホリーには、このところ家事をいろいろと手伝ってもらっている。

というのも、今、このお屋敷に家政婦さんがいないからだった。

 

これまで、叔父さまがいる間の家事はデイビスさんが請け負ってくれていた。

だけど、精霊人形の存在を知られることを心配した叔父さまは、しばらくは家の中には人を入れないことにした。

 

私もそれには賛成だった。

もしも精霊人形という、とても不思議で神秘的な人形の存在が世間に知れたら…きっとこんな風にのんびり暮らすことはできない。

 

でも、実のところ家事はかなりの労働だ。

家政婦さんに入ってもらえないとなると、雑事すべてを自分たちでやらなくてはならない。

もちろん、私はそのつもりだった。

寮生活となった今はあまり必要がなくなってしまったけれど、お爺さまの元に身を寄せる前はお母さんに習いながら私も一緒に家事をしていたのだ。

だから一通りのことは身についている。

叔父さまに家事をやってもらうつもりはなかった。

叔父さまはお仕事で忙しいんだもの。この上、家のことまでなんてさせられない。

ごく日常的なことくらい私1人で何とかやれるわ。

 

…そう思っていた矢先。

ホリーが私を手伝いたいと言い出した。

私は少し驚いたけれど、手を貸してもらえれば助かるし、叔父さまも賛成だったこともあって、私はホリーに家事を手伝ってもらうことにした。

 

ホリーは最初、とても戸惑っていた。

慣れない住まい、慣れない道具、慣れないやり方。

長く眠っていた彼女は、感覚も鈍っていたのかもしれない。

失敗もあったし、私が1から教えなくてはならないこともあって、ホリーはそのことをとても気に病んでいるようだった。

彼女の口から「申し訳ありません」という言葉を、私は日に何度聞いたことだろう。

 

でも、それは本当に最初のうちだけだった。

技能的なことに限れば、ホリーが私とほぼ同等の仕事ができるようになるまで、それほど時間を必要としなかったのだ。

 

その成長ぶりは、短期間に次々と新しいことを身につけていった…というよりも、この数日間で忘れていたことを思い出したとでもいった方が正しいような上達の仕方だった。

ホリーは私の人形として目覚める以前に、こういった仕事の経験を相当積んでいたのだろう…彼女のこなれた仕事ぶりに私はそんな想像をしていた。

 

〔ドアの開閉音〕

 

I:………。

  ホリーを見かけなかったか?

 

くつろいでいた私たちの前に、イグニスが姿を見せた。

 

主:ホリーならキッチンに行ったわ。

 

I:そうか。

 

イグニスは手短にそう答えるとリビングを出ようとした。

 

S:イグニス、ちょっといいかな。

  実は前々から気になってたことがあるんだけど。

 

I:何だ。

 

S:イグニス、君も精霊人形なんだろ?

  と、いうことは、君にもオーナーがいるんだよね?

 

I:……………。

 

そう、それは私も気になっていたことだった。

精霊人形である以上、イグニスにだってオーナーはいるはずなのだ。

彼のオーナーはいったいどんな人なのだろう?

 

S:だったら、1度くらい会ってみたいなー…なんて思ってるんだけど。

  どう?紹介してもらえないかな。

 

I:…………。

  お前に、私のオーナーについて答える義務はない。

 

〔イグニス退場・ドアの開閉音〕

 

それだけ言うと、イグニスはリビングを出て行ってしまった。

 

S:はは、彼はつれないね。

  …まあ、なんとなく答えてくれなさそうな気はしてたんだけど。

  しかし彼は謎多き人形だなあ。

  だいたい、ここに留まってるのだって、よく考えたら変なんだよな。

  オーナーはほったらかしでいいのか!…って思うよ。

 

叔父さまが言うように、ホリーが目覚めたあの日からイグニスはこのお屋敷に滞在していた。

 

と、いうのも、叔父さまがイグニスを引き止めたからだったのだけれど。

 

精霊人形が実在していたことに興奮していた叔父さまは、精霊人形についてもっと知りたい、なんとか関係を持ち続けたいと思ったらしく。

立ち去ろうとした彼を強引に引き止めたのだった。

 

………でも、そうね。

たしかにイグニスは謎が多かった。

いつの間にかいなくなり、また、いつの間にか帰ってくる。

一体、彼がどこで何をしているのか、私たちはまったく知らなかった。

だけどそのこと以上に私たちが知りたかったのは、彼のオーナーがどこの誰なのか、ということだった。

 

S:思うに、彼のオーナーは放任主義なんじゃないかな。

  でなきゃ、あんなにウチに入り浸ってて大丈夫なわけないよ。

  ……ま、いいや。

  アズがホリーのオーナーである限り、彼も僕らと関係を切るつもりはないだろうからね。

  今後のお楽しみ…ってことにしとこうか。

 

そう言うと、叔父さまはもう1度スコーンに手をのばした。

 

 

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(2)

〔黒背景〕

ふと、私は目を覚ました。

 

……暗い…。

…まだ、夜…よね…。

 

私は、部屋の明かりをつけた。

 

〔主人公の部屋〕

時計を見ると午前2時を回ったところだった。

もう1度寝よう…とは思ったけれど、なぜか目が冴えている。

 

…ちょっと、お水でも飲んでこようかな…。

 

そう思って私は部屋を出た。

 

 

〔廊下〕

……?

リビングに明かりがついてる。

 

〔ドアの開閉音・リビング〕

Hl:きゃっ!

  あっ…アストリッド様…。

 

実は、ホリーに様付けで呼ばれるのにはまだ少し抵抗がある。

 

ホリーは目覚めた当初から、私や叔父さまを様付けで呼び、敬語を使っていた。

叔父さまはともかく、私にはそんなにかしこまらなくていいとホリーには言ったのだけれど、ホリーは、様付けも敬語も、絶対に改めてくれなかった。

 

そんな、ホリーの控えめながらもかたくなな様子を見て、私はこれ以上この件についてとやかく言うのはやめることにした。

 

おそらく、ホリーにはホリーなりの“自分の立場”というものの確固としたイメージがあるのだ。そして、そのイメージを徹底して守ることは、きっと彼女にとってとても大切なことなのだろう…。

 

主:ごめんなさい。驚かしちゃったわね。

  …?

  何してるの?

 

Hl:えっ…あの、繕い物を。

  カーテンの裾がほつれていましたので…。

 

主:ホリーはいつもこんな時間まで働いているの?

 

Hl:はい。

 

主:精霊人形は夜、眠らないって聞いたけど…。

 

Hl:はい。私は人形ですから、人間のように睡眠は必要ありません。

 

主:でも、だからってこんな時間まで働かなくていいのよ?

  ねえ、ホリー。

  ホリーは何かしたいことってないの?

  趣味みたいなこととか。

 

Hl:………………。〔沈んだ顔〕

 

……?

 

Hl:あの…アストリッド様。

  こうして私が夜間働くことは、貴女様にとってご迷惑なのでしょうか…。

 

主:え?

  迷惑なんてことはないけど…。

  昼間、十分手伝ってもらってるのに、こんな夜中まで働いてもらうなんて悪いと思って。

 

そう。ホリーは昼間だって働いているのだ。

私が頼んだことはもちろん、それ以外のことまで、ホリーは自分で何かしら仕事を見つけ出してはしていた。

たしかにこの広いお屋敷では、手をかけようと思えばいくらでも仕事はある。

だけど、私はホリーに不休で働いて欲しいなんて考えていなかったし、それは叔父さまだって同じだろう。

 

Hl:…アストリッド様。

  ……あの……。

  ……………………。

 

主:なあに?

 

Hl:……………………。

 

「あの」と言ったきり、ホリーは困ったようにうつむいてしまった。

 

……?

なにか話しづらいことなのかな…。

 

主:………………。

  えっと、ホリー。

  私、ホリーにいつも一方的におしゃべりやお願いばかりしてない?

 

Hl:え?

  ……あの、そのようなことはありません。

 

主:ならいいんだけど。

  もしも私の日頃の態度のせいで、ホリーに自分の考えを言えなくさせてるとしたらいけないなって思って。

 

Hl:いえっ!

  そのようなことは決してありません!

  アストリッド様のせいなんてこと、絶対にありませんから!!

 

主:…そ、そう。

  だったらよかったわ。

 

Hl:そんなこと、本当にありませんから…どうかご心配なさらないでください。

  ………………。

 

ホリーはそう言うと、またうつむいてしまった。

 

……………。

なんか私、ホリーを困らせてる?

私は、ホリーともっとこう…そう、人間のお友達同士みたいに、気軽におしゃべりできたらいいなって思ってるだけなんだけど…。

 

Hl:…………………。

  ……あの…。

  …あの、アストリッド様。

 

主:?

 

Hl:私……少しでもオーナーのお役に立ちたいんです。

  オーナーによろこんでいただきたいんです。

  それこそが、私たち人形の存在する意味ですから。

 

「人形の存在する意味」…。

ホリーの口から出たのは、思いのほか深刻な言葉だった。

 

ホリーとイグニス。

2体の精霊人形に出会ってから、夢見心地が抜けないまま、私は今日まで過ごしてきたけれど。

……ホリーはそんなふうに考えていたのね…。

 

Hl:それに…私、今、とにかくうれしいんです。

 

主:「うれしい」?

 

Hl:私も、誰かの持ち物になれたということが、です。

 

主:…ねえ、ホリー。

  今までどんな人がホリーのオーナーだったの?

 

Hl:…!

  …………それは…。

 

ホリーは口ごもり、顔を曇らせた。

さっきまでの困り顔とはまた少し違う、どこか辛そうな表情だった。

 

Hl:……………。

 

つい、なにげなく聞いてしまったけど。

もしかして、過去のオーナーのことは聞いちゃいけないことだったのかな?

 

主:…あ、そうだわ。

  ねえ、ホリー、私もしばらくここにいていい?

  今夜はなんだか寝付けなくて。

  読みかけの本があったから、ここで読みたいわ。

  ホリーの邪魔はしないから…いいでしょ?

 

Hl:えっ?

  あっ…はい。もちろんです。

  でしたら、温かいミルクでもお持ちします。

 

主:ありがとう。

 

その夜、私とホリーは朝方近くまで二人で過ごした。

 

 

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(3)

〔ホリーの部屋〕

Hl:………………。〔沈んだ顔〕

 

私はホリーの部屋にいた。

ここは、人形であっても自分の場所が必要だろうと考えた叔父さまが、ホリーに与えてくれた部屋だった。

もっとも、睡眠を必要とせず、自分の時間を欲しがらないホリーが、どの程度この部屋を使っているのかは疑問だったけれど。

 

Hl:………………。〔ため息〕

 

主:ホリー、大丈夫?

  元気がないみたいだけど…。

 

Hl:え…?

  あ、はい。大丈夫です。

 

主:でも…。

 

Hl:………………。

  あの…接蝕日に精霊人形の調子が良くないのは、ごく普通のことですし…特に新しいオーナーとの最初の接蝕のときは、それ以後の接蝕日に比べて、より不調なのが通常なんです。

  ですから、私が普段通りに振る舞えないことを、どうかお気になさらないでください…。

  …………………。

  …あの…ご心配をおかけして、申し訳ありません…。

 

主:大丈夫よ、ホリー。

  申し訳ないことなんて何もないから。

 

Hl:…うう、すみません……。

 

今日はホリーの接蝕日だった。

 

“接蝕”

それは、精霊人形を生かし続けるために必要不可欠な行為であり。

私とホリーは、初めてのその日を迎えていた。

 

〔ドアの開閉音〕

 

S:いよいよ始めるんだって?

 

主:ええ。

 

Hl:……あの…、サイラス様もこちらに?

 

主:ええ。叔父さまも見学したいんですって。……ダメ?

 

Hl:えっと…。

  …………。

  アストリッド様が、そうおっしゃるのでしたら…仕方ありません。

 

???

本当はちょっと嫌なのかな?

でも、一応許してもらえたみたい。

 

実は、イグニスにも今日立ち会ってもらえないかと私は相談していた。

だって、ちゃんとできるか心配だったから。

そうしたら、別に難しいことはない、凍結を解いたときと同じ要領だと言われて、立ち会いは断られてしまった。

 

主:じゃ、始めましょう。

 

Hl:…はい。

 

返事をしたホリーは私の足元に跪くと、胸の位置で手を組み、軽く頭を下げ、祈りを捧げるような姿勢をとった。

 

Hl:………………。

 

じっと私を待っているホリーの額に、私は自分の左手のひらを置いた。

 

冷たい肌。

そう、彼女は人形だから体温はない。

 

私は普段、ホリーを私と変わらない人間の女の子のように思っているけれど、やはりその体は、ぬくもりを持たない人形の体なのだ…。

 

今更のようにそう思い。

私は目を閉じた。

 

〔暗転〕

意識をホリーに向ける。

 

ホリー…私はここよ…。

 

私はホリーに呼びかけた。

 

ホリー…。

 

ホリー…。

 

…………。

 

……。

 

と、間もなく。

奇妙な感覚が私を襲った。

 

“乾く”とでもいうのだろうか。

冬、乾燥で手や唇がひび割れることがある。

あれが内側で起こっているような…。

苦痛…と言うほどではなかったけれど、どちらかと言えば不快な感覚だった。

 

どのくらいそうしていただろう。

その感覚が収まったところで、私は目を開けた。

 

〔暗転明け〕

ホリーは目線こそ私の顔のあたりに向けていたけれど、姿勢は跪いたままだった。

 

主:ホリー…?

 

もう1度呼びかけてみる。

 

主:ホリー?

 

ホリーは返事もしなければ、微動だにしなかった。

 

S:終わったんじゃないかな?

 

主:そ、そうね。ホリーが言ってた通りだもの。

 

私はホリーの額から手を離した。

 

接蝕を終えた精霊人形は、霊体の安定のためしばらく休眠状態になる。

これは人間でいうところの、いわば睡眠のようなものだった。

ただ、人間の睡眠と違って、休眠中の人形は、呼びかけたり、叩いたり、それこそ何をしても目を覚まさないらしい。

つまり、今、ホリーは“ただの人形”なのだった。

 

私は改めてホリーを見た。

 

Hl:……………。〔無表情〕

 

相変わらず美しかった。棺を開けたその日のままに。

 

でも、いかに美しくとも。

今、この人形に生命の痕跡は感じられなかった。

 

硬直した体。結ばれたきりの唇。そして、開いているのに何も見ていない目。

人形然とした彼女は、部屋を飾る静物の1つとなって私の足元に跪いていた。

 

“生きている”ホリーを知っている今の私にとって。

すべてが停止したこのホリーは“眠っている”というよりも“死んでいる”ように見えた。

 

“朽ちることない死体”…それが精霊人形という器の本性ではないだろうか。

その“死体”に、一時生命が宿る。人間によって、かりそめの命が。

 

………私はこれからこの人形をどうしていったらいいのだろう…?

 

動かなくなったホリーを見つめていた私の胸を、ふいに不安がよぎった。

 

ホリーは働き者で、心のやさしい人形だ。

家事が上手で。素直で。控えめで。とても恥ずかしがり屋で。

こんな人形に危険など感じる必要など、あるはずがない。

 

そう。

私は“ホリー”という人形に、不安を覚えたわけではなかった。

 

私が不安に感じたのは。

漠然としすぎていて、うまく言葉にできないのだけれど…。

しいて言うなら“精霊人形という存在そのもの”だろうか。

 

…………でも。

それと同時に。

 

私は、自分の心がこの精霊人形というものに、強く惹きつけられていることを感じずにはいられなかった。

 

 

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(4)

〔庭〕

私はお庭を散策していた。

 

カントリーハウスほどではないにしろ、かなりの大きさであるこのお屋敷の庭は、それに見合っただけの広さがあり。

ある程度の手入れはされていたけれど、わりあい自然のままの雰囲気を持っていた。

 

ホリーとの接蝕は昨日のことだ。

休眠を終えたホリーは、接蝕前のあの具合の悪そうな様子はなく、いつも通りのホリーに戻っていた。

 

私にとって接蝕は、これまでに経験のない、とても奇妙な体験だった。

接蝕中のあの感覚も。

接蝕後、ホリーが“ただの人形”に還ってしまうということも。

そして休眠から覚めれば、また“生きた人形”に戻るということも。

 

……精霊人形って、本当に不思議なお人形ね…。

 

?:こんにちは、お嬢さん。

 

突然かけられた聞き覚えのない声に、私は顔を上げた。

 

?:ごめんね。驚かせちゃったかな。

 

そこには美しい青年が、親しげな笑みを浮かべて立っていた。

 

光り輝く金髪。サファイアを思わせる青い瞳。

年の頃は、私より少し上…といったところだろうか。

そして、彼がまとう眩しいほどに白いルダンゴットは、彼が決して身分の低い者ではないことを示していた。

 

なんて綺麗な人だろう…。

 

私は、この人が誰なのかと思うより先に、我を忘れてつい見入ってしまっていた。

 

?:君がホリーの新しいオーナーなのかな?

 

主:えっ?

 

彼の言葉に、私は我に返った。

ホリーの秘密は私と叔父さましか知らないはずだ。

それなのに…。

 

…いったい、この人は誰…?

 

?:このお屋敷の、“アストリッド”っていう女の子がホリーのオーナーになったってイグニスから聞いたんだけど。

  アストリッドって、君のことじゃないのかな?

 

…イグニス?

この人はイグニスの知り合いなの?

 

だとしたら、ホリーの秘密を知っていても不思議はなかった。

 

主:え…ええ、そうよ。

  あの、あなたは…。

 

?:ああ、やっぱりそうなんだ。

  こんなに可愛い女の子が精霊人形の新しいオーナーだなんて、うれしいな。

  僕の名前はホブルディ。

  どうぞ、ルディとお呼びください。お嬢さん。

 

「ホブルディ」と名乗った彼は、どことなく芝居がかった口調でそう言った。

 

ホブルディ(以下H):ところで君、年はいくつなの?

 

彼は再び私に問いかけてきた。

 

主:じゅ…17歳…。

 

そう口にしたとき。

 

I:ホブルディ。ここに何の用だ。

 

あ、イグニス。

 

H:「何の用」?…愚問だなあ。

  だいたいわかるだろ?

  君が人形の番人を名乗るならね。

 

I:……………。

 

H:お嬢さん、僕はイグニスやホリーと同じく、精霊人形さ。

  どうぞ以後、お見知りおきを。

 

そう言って彼は、うやうやしく頭を下げた。

 

…ああ、だからなのね。

 

驚きながらも、私は納得した。

この人がこんなにも綺麗なのは人形だからだ。

 

太陽の輝きを持つハニーブロンド。

やわらかい線で描かれた白い頬。

金色の長い睫毛に縁どられたサファイアの瞳。

そして、やさしげでありながら凛々しさも併せ持った顔立ちは、親しみやすさの中にも品格と清らかさを漂わせていた。

 

……彼はきっと、おとぎの国の王子様をイメージして作られたに違いない。

 

H:じゃ、僕はこれで。

  また必ず会おうね。可愛いお嬢さん。〔にっこり〕

 

〔ホブルディ退場〕

 

そう言うと彼は私の前から立ち去った。

きらきらと輝くような笑顔の余韻を、私の胸に残して。

 

主:……ねえ、イグニス。

  彼はあなたのお友達なの?

 

I:……「友達」…?

  ……………。

 

「友達」と言ったきり、イグニスは黙り込んだ。

 

I:………………。

 

……あれ?

そんなに難しいこと、聞いたかな?

 

I:…………「友」という呼び名がふさわしいかは定かではないが。

  同じ精霊人形であることだけは間違いない。

 

…………うーん…。

……なんだか堅苦しい答えね…。

でも、とにかく知らない間柄じゃないってことよね。

親しくはないにしても。

 

主:あ、そういえば。ルディのオーナーってどんな人なのかな?

  ……ああ。さっき聞けばよかった。

  頼んだら紹介してもらえたかもしれないのに…!

 

自分と同じ精霊人形のオーナーと会えるチャンスを逃したことに気づいて、私はとても残念に思った。

 

I:…………。

  今、奴はマクファーレン伯爵の娘、グロリアの人形だ。

 

主:え?

 

I:…………。

 

主:ありがとう、教えてくれて。

 

I:………いや。

 

伯爵令嬢グロリア様。

どんな方かまったく知らないけれど。

伯爵家のお姫様と、おとぎの国の王子様なんて…本当に童話の世界みたい。

 

I:……………。

 

イグニスは、何か考え込んでいるようだった。

 

主:イグニス、どうかしたの?

 

I:…アストリッド。

  お前の存在は、人形の運命を動かすかもしれん。

 

主:…え?

 

私が、人形の運命を、動かす?

 

どういう意味?

そう尋ねようとしたとき、イグニスはすでに背を向けていた。

 

 

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(5)

〔黒背景〕

イグニスがやって来て、ホリーが目覚めてから2週間以上が過ぎた。

2人がこのお屋敷にいること…いつしかそれがごく当たり前のように感じられるようになっていたけれど。

私はまだ、どこか信じられないような気持ちでいた。

 

お人形が、しゃべって、動くだなんて。

しかも、そのお人形と一緒に食事を作ったり、お茶を用意したり、おしゃべりしたり、お買い物に行ったりしてるなんて。

こう考えると、まるでおとぎの国に迷い込んだみたいだ。

 

もっとも本当は、ホリーもイグニスも、人間にあまりにも似ていて、人形と意識することはほとんどなかったのだけれど。

 

 

〔廊下〕

朝、身支度を終えた私は、いつものようにキッチンへ向かっていた。

 

〔キッチン〕

Hl:おはようございます、アストリッド様。

 

主:おはよう、ホリー。

  ……あ、もう…。

 

お鍋からは、湯気と共においしそうな匂いが立ちのぼり。

テーブル上には、お皿やカトラリーが用意され、後は配膳を待つばかりとなっていた。

 

ホリーにはなにかと家事を手伝ってもらっている。

朝食の準備もその1つで、昨日までは2人で一緒にしていたのだ。

だけど今朝は、私がしなくてはならないことはもう何もなかった。

 

Hl:はい。朝食の準備は整っています。

  すぐにお持ちしますから、どうぞダイニングでお待ちください。

 

主:…そう。ありがとう…。

 

……………。

 

 

<数日後>

 

〔主人公の部屋〕

朝食後。

しばらく私はお部屋で、編み物をしたり、雑誌を見たりして過ごしていたけれど。

でも、なんとなく落ち着かない気分だった。

 

ここ数日、私は朝食の準備をしていなかった。

なぜなら、私がキッチンに行く頃には、すでにホリーの手で朝食の準備がすべて整えられていたからだ。

今朝、私がしたことといえば、少しばかり朝食の後片づけをしただけで、家事といえるほどのものではない。

 

……………。

……そうだわ。

リビングのお掃除しなきゃ。

 

そう思い立った私は、リビングに向かった。

 

 

〔廊下〕

Hl:あ、アストリッド様。

  リビングをお使いになりますか?

 

主:え?

  ええ…。

 

Hl:ちょうどお掃除が終わったところです。どうぞ、お使いください。

  ああ、そろそろお茶の時間ですね。すぐにご用意いたします。

  サイラス様にもお声をかけた方がよろしいですか?

 

主:えっ?

  あっ…そうね…。

 

Hl:はい。

 

〔ホリー退場〕

 

……………。

 

 

<それから数日後>

 

〔玄関〕

S:………。〔なんとなくキョロキョロしてる〕

 

主:叔父さま、どうかしたの?

 

S:うん…あのさ、アズ、僕の懐中時計、知らないかな?

  どこかに置き忘れちゃったみたいでさ…はは。

 

主:さあ…私は見かけなかったわ。

 

ホ:あのっ…。

 

S:ん?

 

Hl:あの…サイラス様。

  お探しの時計は、…こちらでしょうか?

  リビングのソファの隅に落ちていたのですが…。

 

そう言うと、ホリーはエプロンのポケットから金色の時計を取り出した。

 

S:そう、これだよ!ありがとう、ホリー!

  これ、今、1番気に入ってるやつなんだよね。

  本当、助かったよ、ありがとう。

 

Hl:いえっ…そんな…そのっ…当然のことをしたまでですから…。

  …あ、えっと…それより、サイラス様。

  サイラス様は、今日、お出かけのご予定がおありですね?

  お支度のお手伝いをいたします。

 

S:そうかい?じゃ、よろしく頼むよ。

 

Hl:…はい、サイラス様。

 

〔2人、退場〕

 

………………。

 

 

<さらに数日後>

 

〔裏庭〕

よく晴れた昼下がり。

私は、裏庭で洗濯物を干していた。

 

ホリーは働き者で。

自分からすすんで家事をやってくれる。

しかも、彼女が用意してくれる食事はどれもおいしかったし、お掃除は完璧だった。

それはとてもありがたいことだったけど…。

 

何から何までホリーに頼るのは、なんだかちょっと“違う”ような気がした。

 

ホリーは、メイドとしてこのお屋敷にやって来たわけじゃないんだもの。

このお屋敷の家事は、本来私の仕事だわ。

 

そんなことを考えながら、私は洗濯物を干し続けた。

 

えっと、これが最後の1枚ね。

 

そう思って、叔父さまのシャツを取り上げたときだった。

 

Hl:アストリッド様!

  何をされているのですか!?

 

そう言ってホリーは、右手にほうきを持って駆け寄ってきた。

 

主:何って、お洗濯…。

 

Hl:…ああ、このような雑用、貴女様がなさるようなことではありません。

  これは、私の仕事です。

 

そう言うと、ホリーは私が持っている叔父さまのシャツを左手でつかんで引っ張った。

 

主:…ホリー。

  ホリーが家事を手伝ってくれるのはうれしいけど、もともとは私の仕事よ。

  だから、私がやるわ。

 

私は、シャツを引っ張り返した。

 

Hl:いえ。これは私の仕事です。

 

ホリーも再びシャツを引っ張る。

その力に、私は思わずよろけて、両手でシャツをつかんだ。

 

主:…ホリーは、朝から働きづめでしょ?

  食事の準備も、お掃除もしてもらっちゃったし…。

  少しは休んで、…ねっ?

 

言いながら私は、全力でそれを引っ張った。

 

Hl:アストリッド様こそ、お勉強でお忙しいのでしょう?

  このような雑事に貴重なお時間を割かれてはいけません。

  それに、せっかくの夏期休暇ではありませんか。

  ご休息や楽しみにこそ、お時間を使われるべきです。

 

ホリーも再びシャツを引っ張る。

 

………………。

………………。

~~~~~~。

………ホリーって…。

………………。

…すっごく………。

力が強い…。

 

だって。

私は両手なのに、右手にほうきを持っているホリーは片手なのだ。

それは、彼女が精霊人形だからなのかもしれないけれど。

でも、とにかく、これは私の仕事なのだ。

食事の用意も。

お掃除も。

ホリーにやらせてしまったからには。

せめて、これだけは譲るわけには…。

 

主:~~~~~!

 

Hl:……………。

 

私たちは、シャツを引っ張り合った。

私もそうだけど、ホリーも意地になっていたのかもしれない。

と、そのとき。

 

S:君らさ…何してるの?

 

〔布地の裂ける音〕

 

主・Hl:!!

 

S:…………!〔呆れ顔〕

 

 

〔リビング〕

Hl:…………。

 

主:…………。

 

S:はあ…このシャツ、よりにもよって新調したばっかのやつだったんだよな…。

 

叔父さまはため息とともに、破れたシャツに目をやった。

 

うっ。ごめんなさい…叔父さま。

 

S:それはさておき。

  君たちの言い分はわかった。

  …そうだね。

  今後家事は、ホリーに任せるよ。

  ホリー、君がこの屋敷の家事全般を取り仕切るんだ。いいね。

 

主:えっ…。

 

Hl:あっ…ありがとうございます!

 

S:火や刃物の扱いに気をつけろとか、そういう家事の基本的なことは改めて言わない。

  今までの仕事ぶりからして、できて当然だと思うからね。

  それに、これからは君1人での外出や、買い物も認めよう。

  ただし、いくつか守ってもらいたいことがある。

 

Hl:はい。

 

S:無断外出はしないこと。

  使ったお金はすべて記録すること。

  来客の対応はすべて僕かアストリッドにまかせること。

 

Hl:はい。

 

S:あと、困ったことや、迷ったこと、わからないことはどんなことでも必ず僕かアストリッドに相談すること。

  1人で解決しようとするのはダメだ。

  それから、僕たちが手を貸すと言ったときには拒否しないこと。

  いいね。

 

Hl:はい。

 

S:うん。そういうことで、よろしく頼むよ。

  じゃ、ホリーは下がっていいよ。

 

Hl:はい、サイラス様。

 

〔ホリー退場・ドアの開閉音〕

 

主:……………。

  あの、叔父さま…。

 

叔父さまの決定に異議を申し立てるつもりはないけど…。

でも、私はなんとなく納得できないでいた。

 

S:いいじゃないか、アズ。

  ホリーはやりたいって言ってるんだし。

  精霊人形のお手並み拝見ってとこだよ。

 

「お手並み拝見」?

 

S:僕はね、精霊人形がどんな能力を持っているか、大いに興味がある。

  だってさ、彼女はつい最近まで“ただの”人形だったんだ。

  人形が、自分で動いて、しゃべるだけだって十分驚嘆に値するのに、料理したり、掃除したり、洗濯したりするんだよ?

  しかも、感情まで持ってるんだ。

  人形が恥ずかしがるんだ、まるで人間そのものみたいに!

  彼女が…精霊人形というものが、どこまでできるものなのか僕は試してみたいんだ。

 

主:叔父さま…。

 

S:でもさ、アズ。

  これは君に言っておくよ。

 

主:?

 

S:実のところ、僕はホリーをそんなに信用してるわけでもないんだ。

  僕は、君と違って、汚れた大人なんでね。

 

主:え?

 

S:ホリーは、綺麗で、可愛くて、素直で、家事が上手くて。

  つい、なにもかも信用したくなるけど…でも、彼女は人形だ。

  はっきり言って、精霊人形という存在が、人間にとって神の使いか悪魔の手先か、僕にはわからない。

  だから、いろいろな意味で、まだ、彼女を人間のようには信用できない、そう思ってる。

 

主:叔父さま…。

 

S:だから、君にはオーナーとして彼女をしっかり監督していて欲しい。

  …いいね?

 

主:…はい。

 

S:なあ、アズ。

  君が家事をしてくれるのは助かるし、ありがたいと思ってる。

  だけど、そもそも僕は、おさんどんをしてもらいたいと思って君をここに呼んだわけじゃないんだ。

  もともと、僕たちがいる間の家事はミセス・デイビスに頼もうと思ってたしね。

  せっかくの夏期休暇なんだ。

  家事に励むのも結構だけど、学生の君にはまずは勉学に勤しんでもらいたいし、遊びも大いに満喫してもらいたいね。

  精霊人形と過ごす夏休みなんて。

  なんだか面白い夏になりそうだって思わないかい?

 

そう言って叔父さまは笑った。

 

 

第3章