第4章:アクシデント
(1)
〔リビング〕
窓辺に立った私は空を見上げた。
一面の青に、所どころ浮かぶ白い雲。
今朝はいい天気ね。
お洗濯日和だわ。
〔物が転がり落ちる音〕
Hl:きゃあああっ!
えっ!?
今の何?
私はリビングを飛び出した。
〔階段下〕
Hl:…………。
主:ホリー、大丈夫!?
Hl:…はい。
あの…お騒がせして申し訳ありません…。
ホリーは床に座り込んだままそう言った。
床には、大量のリネン類が散らばっている。
どうやら、ホリーは洗濯物を抱えたまま、階段から落ちたようだ。
主:立てる?
Hl:はい…えっ…ああっ。
〔暗転〕
〔転倒音〕
主:ホリー!
〔リビング〕
私はホリーをソファに座らせた。
Hl:…申し訳ありません。
主:ううん。それより、足は大丈夫?
Hl:…はい。
ホリーはそう答えたけれど。
私が肩を貸さなくては立ち上がれないほど、ホリーはひどく左足を痛めていた。
こんな状態じゃ、ホリー1人ではとても満足に歩けないわ。
でも、どうしたら…。
〔ドアの開閉音〕
I:さっきずいぶん派手な音がしていたが…どうかしたのか。
主:イグニス。
私はイグニスに事情を話した。
I:ホリー、足を見せてみろ。
Hl:……。
ホリーはストッキングを脱ぐと、おずおずと左足を差し出した。
主:…!
初めて見るホリーの素足に、私は思わず息をのんだ。
ホリーの足首、そして足の指は、球体関節で繋がれた“人形の足”そのものだった。
人形のホリーが人形の足をしているのは当たり前のことだ。
そして、見慣れてしまえば何ということもないのかもしれない。だけど。
今、私の目に“それ”は異様に映っていた。
I:……………。
動揺している私をよそに、イグニスは床に膝をつくとホリーの足を手に取った。
Hl:……………。
イグニスはしばらく足の具合を見ていたけれど。
I:荒療治だが、かまわないか。
Hl:…えっ。
I:これなら、分解せずとも直せるが荒療治になる。
それでもかまわないか。
Hl:え…ええ。
私…早く、歩けるようになりたい…。
I:わかった。
では、始めるぞ。
そう言うと、イグニスはホリーの踵をおもむろに握り直し。
強引に捻じ曲げた。
Hl:ああっ!
主:!
Hl:あっ…いっ…んんっ…!
I:…………。
私は、はらはらしながら見守ることしかできなかった。
I:……終わったぞ。
Hl:……………。
主:ホリー、大丈夫?
Hl:……はい。
I:捻れそのものは直したが、1人で歩くにはまだ支障があるだろう。
完治にはある程度の時間が必要だ。
主:じゃあ、しばらく安静にしていなきゃいけないわね。
〔ホリーの部屋〕
Hl:………。〔ため息〕
主:イグニス、ありがとう。
ホリーを運んでくれて。
I:…いや。
主:ホリー、今日は1日ゆっくり休んでね。
Hl:…本当に申し訳ありません。
私が不注意なばかりにこんなことになってしまって…。
ご迷惑をおかけして…本当に…本当に申し訳ありません…。
主:ホリー、そんなに悲しい顔をしないで。
けがは誰にでもあることよ。だから気にしないで。
Hl:…アストリッド様…。
主:家事は大丈夫。私だって、ちゃんとできるんだから。
今日は1日安静にしていることがホリーの仕事よ。ね?
Hl:…ありがとうございます。
………………。〔思いつめた顔〕
主:…?
Hl:…アストリッド様、私、怖いんです。
主:え?
Hl:私が、“呪いの人形”と呼ばれていたことは、もうご存知なのでしょう?
主:えっ…ええ…。
ホリーは、私とルディが話しているのを聞いていたのだろうか。
Hl:これまで私のオーナーは、みんな不幸に見舞われています。
どうしてそうなのかわかりませんけど…きっと、私はそういう星のもとに生まれた人形なんです。
ですから、また不幸がやってくるかもしれない…そう思うと…私…。
私、凍結を解いてもらえた時はただただうれしかったです。
こんな私でもまだ必要とされてるんだって。
でも私…アストリッド様のことが好きになれば好きになるほど、私の大切なオーナーに、また何か不幸が降りかかるんじゃないかって…そう思うと…私…。
ホリー…。
主:ホリー。私は、あなたを目覚めさせて、本当によかったって思ってる。
感謝こそすれ、後悔なんてこれっぽっちもしてないわ。
この先、もしもよくないことが起きたとしても、ホリーが直接関わってないことならホリーのせいだなんて思わない。
そんなの当たり前のことでしょう?
Hl:……………。
可哀想なホリー。
不幸を直接受けたのは人間たちだったとしても、ホリーもまた被害者だったに違いない。
何の罪もないのに、オーナーたちに降りかかった不幸が自分のせいだと思ってる。
“呪いの人形”
この心無い呼び名に、彼女はどれほど傷つけられてきたのだろう。
主:さあ、ホリー。おしゃべりはもうこれくらいにしましょう。
今日は、ベッドに横になって、1日ゆっくり体を休めてね。
そうだわ、だったら着替えたほうがいいわ。
私の寝巻きを持ってくるから、それに着替えましょう。
Hl:あのっ…そのようにお手をわずらわせるわけには…。
主:いいのよ。……ふふっ。
なんだか、子供の頃のことを思い出しちゃった。
お人形さんのお世話をするのって、楽しい遊びだったわ。
ホリー、今日は私の言うことを聞いて、ちゃんと寝てるんですよ…なんて。
…ふふっ。
Hl:…………。〔恥かしそうに、しかしうれしそうに微笑む〕
主:じゃ、取りに行ってくるわね。
〔暗転〕
私は自分の寝巻きを取って来ると、それにホリーを着替えさせた。
そして、もう1度安静にしているように言うと、彼女は素直に頷いてくれた。
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(2)
〔庭〕
ホリーは1日お休みだから、今日は私が食事の用意も全部しなくちゃ…。
そんなことを考えながら、洗濯物を干し終えた私は裏口に向かっていた。
I:…………。〔主人公に気づいていない〕
あ、イグニス。
………?
自分の手のひらを見てる?
私はイグニスに近寄った。
見ると、彼の手のひらにはネジが載せられていた。
これは…精霊人形のネジ?
主:そのネジは?
I:っ!!
主:!
驚いたイグニスに、私も驚いた。
………驚かすつもりじゃなかったのに。
私までちょっとドキドキしてしまった。
I:……これは…、何でもない。
そう言うと、イグニスはそれを私の目から隠すように内ポケットにしまった。
主:さっきはいろいろありがとう。
イグニスがいてくれて本当によかった。
私じゃ、どうやってホリーの手当てをすればいいかわからなかったもの。
I:いや。
当然のことをしたまでだ。
主:…ねえ、イグニス。
ホリーは本当にいい子ね。
働き者で、やさしくて。
私、ホリーには心から感謝してる。
ホリーと出会ってまだ間がないけれど。
彼女のこまやかな愛情は、どれほど私を慰めてくれたことだろう。
……だけど。
主:…でも、私。
ホリーには、困る…って言うと大げさになるけど、たまに戸惑うことがあるの。
I:何がだ?
主:………ホリーのすることは、“いつも、私のために”だってことが、よ。
I:…?
主:もちろん、ホリーが私に尽くしてくれるのは、とてもうれしいし、ありがたいと思ってる。
でもね、私がホリーのすべてであることには、正直戸惑いを感じるの。
I:…人形の思いは、重荷だということか?
主:……………。
私は少し考えた。
主:…もしも、本当に私がホリーのすべてだとしたら、そうかもしれない。
確かに私はホリーのオーナーだわ。
でも、そのことで私はホリーのすべてを支配できるとは思わないし、したいとも思わない。
だからホリーには私のことだけじゃなくて、ホリー自身の気持ちや、考えや、時間を大切にして欲しい。
人間にとっては、自分を大切に思うなんてごく当たり前のことだわ。
でも…。人形のホリーにはむずかしいことなのかもしれない。
人間と人形。心を持っていることは同じでも、人形は人間とは違う生き方をしているから、考え方も違うのかもしれないって、そう思う。
I:……………。
イグニスは黙って私の話を聞いている。
主:でもね、イグニス。誤解しないで。
ホリーに対しては、戸惑うことばかりじゃないの。
…ううん、ホリーには、感謝したいことの方がずっと多いわ。
たんに、家事をしてくれて助かるとか…そういうことじゃなくて。
なんて言うのかな…。
ホリーと向き合ってるとね、心が開かれるような気がするの。
それはきっと。
ホリーが私に向かって心を開いているからだ。
ホリーは、ありのままの私を受け入れてくれる。
何の疑いもなく。ただ、私を信じている。
嘘もつけば、ときに身勝手にもなる“人間”の私を。
主:ホリーは、私の心に、やさしい気持ちや愛情が、ちゃんと備わっていることを強く感じさせてくれる。
そして、素直であることを肯定してくれる。
だから、私はホリーといると、とても自然でいられるの。
だけどね…イグニス。私、そのことがたまに怖くなるときもあるの。
I:何故?
「何故」
イグニスにそう問われて、私は言いよどんだ。
だって。
その理由を言ったら、私はイグニスに軽蔑されるかもしれないから。
…………………。
……だけど。
私は、自分の複雑な気持ちをイグニスに聞いて欲しかった。
ホリーと同じ精霊人形である、イグニスに。
主:私は、ここへやってくる前…ちょっといろいろあって…、人が信じられなくなっていたの。
それまでは、人を信じるのは当たり前のことだと思っていたけど、それが出来なくなってた。
だから、精霊人形がどんな存在かをあなたから聞いて、そしてそれを自分のものに出来ると知ったとき。
私は望みのものが手に入ると思ったわ。
I:望みのもの?
主:私のすべてを受け入れ、私にすべてを差し出し、私のためにひたすら尽くしてくれる…そんな存在よ。
I:ならば良かったのではないか。
多くの精霊人形は人間を敬い、従属することを是としているが、中にはオーナーに従順であることを好まぬ者もいる。
精霊人形にも、気性というものがあるからな。
その点ホリーは、お前の期待に十分応えているのではないか?
主:そうね、ホリーは素直でやさしくてオーナー思いで、きっと理想的な精霊人形なんだわ。
でも……そんなホリーだから、私は怖いの。
I:…?
主:だって……ありのままの私は、そんなに立派な人間じゃないわ。
あんまり認めたくないけど…我がままで、意地悪な私だっている。
でも、きっと、そんな部分さえホリーは受け入れてしまう。
だって、私はホリーのオーナーだから。
私は、マクファーレン邸での出来事を思い出していた。
あのとき私は、絶対に自分の人形にあんなことはしないと思ったけれど…。
本当にそう言い切れるだろうか。
深い絶望や怒りに襲われたとき、私は自分に決して抗えない人形を前に、自分を抑えることが本当に出来るだろうか…?
I:………………。
…確かに精霊人形は、いかなる理不尽な扱いを受けようと、意に添わぬ命令が下されようと、オーナーに従わねばならん。
それが、精霊人形の性とでもいうべきものだからだ。
主:……………。
I:だが。それが人形とオーナーの関係のすべてではない。
主:え?
I:………………。
人形は、時にオーナーを、オーナーであるという理由を越えて慕うこともあるのだ。
〔イグニス退場〕
そう言うとイグニスは行ってしまった。
…………イグニス…。
…もしかして、私を励ましてくれたのかな?
それとも。
イグニスのオーナーは、彼にとってそんな人なのだろうか?
もしそうなら、どんな人物なのだろう。
私は、未だ会ったことのないイグニスのオーナーに思いをはせた。
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