第6章:宣誓
〔黒背景〕
朝。
私はいつものように、リビングのドアを開けた。
〔ドアの開閉音〕
〔リビング〕
S:……………。
主:おはよう、叔父さま。
私は叔父さまに挨拶をした。
叔父さまが出張から戻って来たのは、一昨日のことだ。
叔父さまにはもう、叔父さまの留守中にあったあの出来事について話をしてあった。
S:おはよう。
ところで…今日の体調はどう?
主:いつも通りよ。
S:………。〔少し心配そうな顔〕
主:大丈夫よ、叔父さま。
だって2度目だもの。
〔ドアの開閉音〕
Hl:……………。〔少し沈んだ顔〕
主:おはよう、ホリー。
Hl:…おはようございます。
……………。
S:ホリーは心中複雑なんだよな。
Hl:…いえ、そのようなことは…。
ホリーは小さく首を横に振った。
主:……ねえ、ホリー。
何があっても、私にとってあなたが大事なお人形であることに変わりはないわ。
そのことはどうか忘れないで。
Hl:…アストリッド様…。
主:じゃあ、叔父さま、ホリー、行ってくるわね。
私はリビングを出た。
〔客室〕
普段は使っていないこの部屋で、彼は私を待っていた。
〔ベッドに横たわるイグニス〕
イグニス。銀色の人形。
使命を負い、使命に生きた孤独な人形。
私は、あの日の出来事を思い出していた。
〔回想・庭〕
I:私を…私をお前の人形にしてくれ。
そう言って、イグニスは私の胸に倒れこんだ。
主:イグニス!大丈夫!?
イグニス!イグニス!!
I:……………。
イグニスは苦しげに目を閉じたまま、何も答えない。
今、彼の器に魂はないのだ。きっと、自分から何か出来る状態じゃない。
だけど彼の表情を見ると、まだ“ただの人形”に戻ったわけではないようだった。
主:…イグニス…私、どうしたらいいの?
お願い…返事をして…!
私は混乱しきっていた。
早くなんとかしなければ…そう思ってもどうすればいいのか皆目わからない。
何も出来ないまま、気持ちだけが空回りしていた。
と、そのとき。
H:…っ!
耳に入ってきたうめき声に、私は顔を上げた。
H:………!
ルディは自分の胸に、あの剣を突き立てていた。
そして。
H:……ああ…。
深いため息とともに胸から剣を抜いたとき、刀身に絡みついていた魂はなくなっていた。
イグニスの魂は、ルディの器に取り込まれた…ということだろうか。
H:………。
ルディはしばらく押し黙っていたけれど、
H:……。
私の視線に気づいたらしく、こちらを見た。
H:…………。
……君は、イグニスのオーナーになるつもりはあるのかな?
主:え?…ええ。
H:だったら、やらなきゃならないことがある。
主:…?
H:僕もこんな状況は初めてだから、これから君に話すことは推測でしかないけど、参考にはなるはずだからね。
いいかい?よく聞いてよ。
主:は…はい。
H:ネジが締まっていない彼の今の状況は、たぶん強制凍結に近いはずだ。
だとすると、おそらくこれから魂の流出が始まる。
主:魂の流出?
でも、今、イグニスの魂はルディに取り込まれたんじゃないの?
H:おっと、ごめん。説明不足だったね。
魂は魂でも擬似魂の方の魂だよ。
断霊剣で取り出せる魂は本物の魂だけなんだ。
解放された人形には、本物の魂と擬似魂、2種類の魂が宿ってる。
だから、イグニスの器には擬似魂が残っているはずなんだ。
でも今、彼の器はネジが締まっていないから、このままじゃ擬似魂は定着できずに流出してしまうと思う。ケージに魂を収めなくちゃならない。
ケージは、ホリーのものがあるよね?
主:ええ。
H:それからネジも必要なんだけど…。
ネジは…さすがに予備なんかないよね。
………そういえば。
私は、イグニスの内ポケットをさぐった。
…たしか、ここにイグニスはネジをしまっていたわ。
主:!
あったわ。これでしょう?
私はルディにネジを見せた。
H:そう、これだよ。
これで必要な物はそろったね。
ケージに魂を収めた後は、ホリーを凍結から解除したのと同じ方法でいけるんじゃないかな。
主:あ…ありがとう、ルディ。
私、どうしたらいいか全然わからなかったから…本当にありがとう。
H:…………。〔複雑な表情〕
まさか、君にお礼を言われることになるなんて思わなかったな。
主:…えっ?
あっ…そうね…。
そうだ。私はルディに命を奪われようとしていたんだ…。
H:ふふっ。まさかこんな展開になるなんてね。
イグニってさ、冷静沈着なようでけっこう無鉄砲なんだよね。
まったく、こっちの迷惑も考えて欲しいよ。
イグニスをなじりながらも、ルディの声はあたたかかった。
H:…まあ、僕もイグニスも、それぞれ欲しいものを手に入れたってことになるかな。
僕は満足しているよ。
これで僕は自由になったんだ。もう誰にも命令されない。
僕は自分の生きたいように、この先生きられるんだ。
ルディ…。
そうね。解放されたルディを、人間は自分の“所有物”として扱うことは出来ないわ。
H:じゃあお嬢さん、僕はこれで。
イグニスのことは頼んだよ。
〔回想明け〕
私は、再びベッドの上のイグニスに目を落とした。
I:………………。
虚ろな瞳。美しくても表情のない顔。
彼は今、“ただの人形”に戻っていた。
イグニスは、自ら望んで解放されたわけではなかった。
解放の術を預かることも、人形たちを見守ることも、そして自分自身の解放さえも…すべてが彼にとっては果たさなくてはならない使命だった。
でもイグニスは、その使命こそを心の支えとしてこれまで生きてきたのだろう。
精霊人形にとって大切な、人間との絆を結ぶことを禁じられた身で。
だけど、今。
ここで眠っている彼に果たすべき使命はない。
彼は自らその使命を手放したのだ。
自由と引き換えに。
私は、ベッドの端に腰かけた。
そして彼の冷たい額に左手のひらを当てる。
擬似魂はもう、私の中に取り込んであった。
後は…。
〔暗転〕
イグニス…。
イグニス。
どうか、もう1度目を覚まして…。
目を閉じた私は、心の中で彼に呼びかけた。
…イグニス。
私の声、聞こえているんでしょう?
お願い…どうか応えて…。
イグニス…!
……………。
どのくらい、そうしていただろうか。
……………。
〔衣擦れの音〕
衣擦れの音に、私は目を開けた。
I:…………。〔主人公を見る〕
主:イグニス…!
私は思わず声を上げたけれど、イグニスは無言だった。
I:…………。
そして、そのまま彼はベッドから下り。
迷わず私の足元に跪いた。
I:…我に命を与えし、我がオーナーよ。
我は、我が魂、我が器、すべてを汝に捧げ、汝の剣となり、汝の盾となることをここに誓う。
我は汝に乞う。
永久に、我が君主として我を治めんことを。
主:………イグニス。
それは“宣誓”だった。
精霊人形の神聖な思いが込められた言葉を。
私は、彼から贈られたのだった。
主:…ありがとう、イグニス。
私はうれしかった。
イグニスは、他の誰かではなく私をオーナーに選んでくれたのだ。この私を。
……だけど。
私は、彼が期待しているようなオーナーなのだろうか?
自由を捨ててまで得るに値するオーナーなのだろうか?
…………………。
わからない。
でも。
私も彼に誓おう。
イグニスが必要とする限り…私は彼と共にいると。
この命、尽きる日まで…。
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