【分岐B】第6章:運命の朝
(2)
鋭い叫びが、空を切り裂いた。
〔カラスの鳴き声〕
カラスだ。
木々の陰から数羽のカラスが、人の声に似たけたたましい鳴き声を上げ、激しい羽音と共に舞い上がった。
そしてカラスたちはひとしきり騒いだ後、早朝の空へと消え。
辺りは再び静けさを取り戻した。
H:…おしゃべりはこのくらいにしよう。
覚悟はいいよね、アストリッド。
主:……ええ。
でも、ルディ。最期にお願いがあるわ。
私には、ルディに魂をわたすと決めたときから考えていたことがあった。
H:………何?
まさかとは思うけど、今更命乞い?
私は首を横に振った。
主:剣を私に貸して。
魂は自分で取り出すわ。
H:なっ…!?
主:ルディ。あなたの新しい人生がこれから始まるのよ。
その門出を血で汚してはいけない。罪と引き換えに得た自由ではいけないわ。
だから魂は私が自分で取り出す。
その剣で胸を突けばいいんでしょう?
I:…位置的には鳩尾だ。
主:…わかったわ。鳩尾を狙えばいいのね。
人形たち:……!
H:…………。
ルディは混乱しているようだった。
そうよね。もし、その剣を奪って逃げられたら、機会は失われてしまう。
簡単には信用してもらえないかもしれない。
でも同じ魂なら、罪に塗れた魂ではなく、何ら疾しさのない魂をルディに受け取って欲しかった。
人形たち:…………。
人形たちは皆、押し黙っていた。
ルディを除く人形たちはいわば“立会人”だ。
今、彼らはどんな気持ちで仲間の解放を見守っているのだろう…。
H:…ダメだよ、アストリッド。
人間は信用できない。
それに、僕が人間の命を奪うことって、本当に罪なのかな?
主:え?
H:人間が人間を殺すのは罪だろうけど、君も知っての通り僕は人形だ。
その僕を、人間の法で人間のように裁くなんてナンセンスだとは思わない?
まるで考えがずれている…そう言いたげにルディは肩をすくめた。
H:人形の僕にとっては、人間を殺すことも、虫を殺すことも大差ないんだ。
酷い考えだって思う?人間と虫けらが同じだなんて。
だけど君たち人間だって同じように、僕たちのことをそう考えてるよね?
人形の命なんて、人間様の尊い命と比べるのもおこがましい、薄っぺらで汚らわしいものだって。
………ルディはこれまで、人間とどんな風に関わってきたのだろう…。
H:ねえ、アストリッド。
夢見がちな君は、人間と人形は心からわかりあえる…なんてロマンチックなことを考えてるのかもしれない。
でも、僕たち人形と君たち人間は、姿形がどんなに似ていても、結局のところまるで別物なんだよ。
主:………………。
とても残念だけど……。
それが彼の答えなら。
主:……わかったわ、ルディ。
これ以上、言うことは何もないわ。
私が自分で命を断つことが、彼への罪滅ぼしの1つになると思ったけれど。
それさえも彼は拒んだ。
それほどまでに彼の人間への不信感は強かったのだと、私は改めて思い知らされた。
私は、私を見ている精霊人形たち1人1人の顔に目をやった。
金色の人形、ホブルディ。
漆黒の人形、ジャック。
薔薇色の人形、ジル。
銀色の人形、イグニス。
命を得た奇跡の人形たち。
精霊人形たちは、私に素晴しい夢と、ときめきを与えてくれた。
まさかこんな幕切れになるとは思わなかったけれど…。
でも、出会ったことを後悔はしていない。
私は、もう一度ルディに視線を戻した。
H:……………。
金色の人形、ホブルディ。
人間に虐げられ、傷つき、泣いていた人形。
……どうか“解放”が、彼の救いとなりますように……。
そう祈って、私は瞼を閉じた。
〔暗転〕
すべての景色が消え。
私は、自分の心だけを感じていた。
今、私を埋め尽くしているのは“彼”。
彼は、私を呑み込もうとしている闇を払い。
私を脅かしているすべてを退けてくれた。
私は彼によって守られていた。
見ることも、触れることもできないけれど。
彼はたしかにこの胸の内に住み。
決して強くはない私を支え、励まし、導いてくれている。
私は、彼の名前をそっとつぶやいた。
「…………ウィル…」
と。
そのとき。
私と彼を隔てていた曇りが、またたく間に洗い流され。
彼の姿が、まばゆい光の中、鮮やかに描き出された。
W:……………。〔微笑んでいる〕
「ウィル!」
両手を伸ばした私は、ただ心の命じるまま。
1番、愛する人に向かってこの身を投げ出し。
彼は私の体を、その胸でしっかりと抱きとめてくれた。
…………私は。
最期の瞬間を。
彼の腕の中で、彼と共に迎えた。