第2章:精霊人形がいる日常

(1)

〔廊下〕

精霊人形:……………。

 

主:おはよう、ウィル。

 

私は彼に挨拶をした。

 

“ウィル”

それが緋色の人形の名前だった。

 

ウィル(以下W):………。

 

ウィルは面倒くさそうにちらっと私を見ると、

 

W:また黒リボンか。

 

えっ?これ?

 

私は髪のリボンに触れた。

 

W:辛気臭えんだよ。葬式帰りか。

 

そ、そうかな。

私、黒って、ちょっと大人っぽくていいなって思うんだけど…。

 

W:それに、なんでそのリボンはそんなにヒョロヒョロなんだ?

  貧相ったらねえぜ。

 

その…私は、この繊細な感じが気に入ってるんだけど…。

 

W:ま、お前の身なりなんてどうでもいいがな。

 

〔ウィル退場〕

 

それだけ言うとウィルは行ってしまった。

 

S:あーあ。彼は、相変わらずご機嫌ななめだね。

 

ため息まじりの声に振り返ると、そこには叔父さまが立っていた。

 

ウィルが目覚めてから今日で3日目だ。

一緒に暮らしているんだもの。

そろそろ、もう少し仲良くできれば…と思うんだけど。

どうもウィルには、そういう気があんまりないみたい。

 

S:なーんかウィルって、僕がイメージしてたのと違うんだよなあ。

  人形って、もっと無感情で従順なものだと思ってたよ。

  ウィルのあの態度を見てると、とてもオーナーの命令に従うようには思えないんだよね。

  “人形はオーナーに服従する”ってあの記述、間違いじゃないかって疑いたくなるよ。

 

それは私も同感だった。

 

別に、ウィルを家来にしたいわけじゃない。

でも、私の言うことをまったく聞き入れてもらえないとしたらそれは心配だった。

 

私はウィルのオーナーなのだ。

万が一にもウィルが人を傷つけたりするようなことがあっては困る。

 

もちろんウィルがそんなことをするなんて思ってない。

 

でも。

「人形は人間にとって素晴しいだけのものじゃなかった」

叔父さまのあの言葉を、私は忘れてはならなかった。

 

S:でもまあ、僕らに敵意があるわけじゃなさそうだし。

  あの憎まれ口も彼の個性といえば個性なんだろ?

  そう思えば、本当に人間みたいなヤツだよな、ウィルは。

 

そう言って叔父さまは笑った。

 

 

〔庭〕

私はエプロンを身につけると、手提げ籠と小さな脚立を持って庭に出た。

これから私は、庭のプラムを収穫するつもりだった。

 

プラムの木の下に脚立をすえ、それに上って、私は青紫の果実を取り出した。

右手でもいで、左肘に掛けた籠に入れる。

私はひたすらそれを繰り返した。

 

あ、あそこ。

あそこにあるプラム、ちょっと離れてるけど…もう少しで取れそう…。

 

私は脚立の上で思い切り背伸びをした。

 

と、そのとき。

足元が大きくぐらついた。

 

主:きゃっ。

 

落ちる!

私は思わず目をつぶった。

 

〔暗転・衝突音〕

…………?

地面にしては、やわらかいみたい…?

 

目を開けた私は、思わず声を上げた。

 

〔暗転明け〕

主:ウィル!?

 

私はウィルの腕の中にいた。

 

W:…………。

 

ウィルは無言で私を降ろすと、横倒しになった脚立を立て直し、それに上った。

そしてプラムを3つ、4つもいだところで

 

W:おい、ヒョロヒョロリボン。

 

「ヒョロヒョロリボン」???

……って、私のこと??

そういえば、私のリボンのこと、ウィルは貧相だって言ってたっけ。

 

W:ボケッとしてねえで、エプロンを広げろ。

 

主:えっ…?

  あっ…、はいっ。

 

私はあわててエプロンの裾をつまんで広げた。

 

そこへウィルはプラムを投げ入れた。

 

ある程度投げ入れたところで、ウィルは脚立を下りた。

 

主:ウィル。

  あの…ありがとう。

 

W:………。

 

お礼の言葉にも彼が笑顔を見せることはなく。

 

W:たかがプラムを取るだけで、脚立から落ちるドジオーナーじゃ、この先もいろいろ世話を焼かされそうだぜ。

 

〔ウィル退場〕

 

そう言って肩をすくめたウィルは、1人お屋敷に戻っていった。

 

口のきき方は相変わらずだった。

私を抱きとめてくれたことも、プラムを取ってくれたことも、ほんの気まぐれだったのかもしれない。

 

でも、もしそうだとしても。

さっきのウィルも、普段のちょっと意地悪なウィルと同じ、本当のウィルに違いなかった。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

<一週間後>

 

〔リビング〕

ウィルと暮らすようになって1週間。

 

ウィルの態度は相変わらずだったけれど、このお屋敷にウィルがいること…それがごく当たり前に感じられるようになっていた。

 

〔呼び鈴〕

 

あ、お客様。

 

私は玄関に向かった。

 

〔暗転〕

………………。

 

 

〔暗転明け・リビング〕

玄関で1通の手紙を受け取った私は、リビングに戻っていた。

 

受け取ったときすでに確認していたけれど、表に書かれた名前を改めて読み返す。

 

“アストリッド・エイミス嬢”

 

私の名前だ。

裏返して、こちらも再び名前を確認する。

 

“グロリア・マクファーレン”

 

この手紙を届けたのは、伯爵家であるマクファーレン家に仕える従僕(フットマン)だった。

彼はそこのご令嬢から、この手紙を私に届けるよう言いつかってここに来たのだった。

 

でも私は、この伯爵令嬢…グロリア様と面識はおろか、名前さえ知らない。

それなのにどうして手紙を…。

 

不思議に思いながらも、私は封を切って手紙を読みだした。

 

主:…………。

 

内容はお茶会への招待だった。

でも、問題はそれではなく、そのお茶会に集まるメンバーだった。

 

グロリア様は、私と同じく精霊人形のオーナーだという。

新しい精霊人形が目覚め、私の人形となったとことを知ったグロリア様は、ぜひ1度私たちに会ってみたいとお考えになって、このお茶会を催したとのことだった。

しかもこのお茶会には、他に2組の精霊人形とオーナーを招待している、と書かれていた。

つまりこのお茶会には、私たちを含めて4体の人形と、4人のオーナーが一堂に会する、ということになる。

 

〔ドアの開閉音・ウィル登場〕

 

主:ウィル。

  ねえ、これを読んで。

 

私は招待状を彼に差し出した。

 

W:ああ…?

 

ウィルは受け取ると、それに目を落とした。

 

W:…………。

 

一通り読み終えたウィルは。

 

W:で。

  行くつもりなのか?

 

私は強く頷いた。

 

主:私、他の精霊人形に会ってみたい。

  ウィルの他に精霊人形が3体もあったなんて知らなかったわ。

  もしかしてウィルのお友達なの?

 

W:友達…?

  ふん。友達というよりは、あいつらみんな腐れ縁だ。

 

……どうやら、お友達みたい…。

 

お茶会は今日から3日後だった。

 

 

<3日後>

 

〔マクファーレン邸・外観〕

主:すごいお屋敷ね、ウィル。

 

グロリア様のお屋敷、マクファーレン邸に私は圧倒されていた。

叔父さまのお屋敷も、私が両親と暮らしていた家と比べたらすごいお屋敷だと思ったけれど。

グロリア様のお屋敷はそのはるかに上をいっていた。

お庭の広さ、お屋敷の大きさ。なにもかもが、庶民のそれとは比べるべくもなかった。

 

やっぱり、伯爵様のお屋敷はまるで格が違う…。

私、こんな場所に来ちゃって大丈夫かな…。

ウィルは一緒だけど、本当は叔父さまにも来て欲しかったな。

 

このお茶会のことを知ったとき、叔父さまは自分も行きたいと言った。

3体もの精霊人形に会えるのだ。誰だってきっとそう思う。

でも、招待を受けていない叔父さまが出席できるわけはなく、叔父さまはお留守番ということになった。

 

W:おい、アストリッド。キョロキョロしてると置いてくぞ。

 

主:あ、待って。

 

私はウィルの後を追った。

 

 

〔薔薇園〕

お屋敷に入ると、私たちは執事と思しき男性によって薔薇園に案内された。

 

一面薔薇で埋め尽くされた美しい庭には、すでに招待客らしき人たちが集っていたけれど。

私はなんとなく身の置き場に困っていた。

 

伯爵家のお茶会なんて初めてだし。

ウィル以外は、知らない人だし。

新しい精霊人形に会えるのはすごく楽しみだけど、その前にまず恥ずかしくない振る舞いができなきゃ…!

 

そう思っていたときだった。

 

?:ようこそ、お嬢さん。

 

背後からかけられた明るい声に、私は振り返った。

 

?:今日のこの日を心待ちにしておりました。〔にっこり〕

 

そこには、まるでおとぎ話に出てくる王子様そのもののような、美しい青年が満面の笑顔で立っていた。

彼のその笑顔はまるで辺りにきらきらとした光を撒き散らすように輝き、私はただ呆然と彼に見入ってしまっていた。

 

?:ああ、アストリッド嬢。自己紹介がまだでしたね。

  僕はグロリア・マクファーレンの精霊人形、ホブルディと申します。

  どうぞ以後、お見知りおきを。

 

そう言うと彼は、私の指先に軽く口づけた。

ただの社交辞令とわかっていても、こういう“挨拶”にはついドキドキしてしまう。

 

主:こちらこそよろしくお願いします、ホブルディさん。

  私は…。

 

ホブルディ(以下H):ああ、お嬢さん。皆までおっしゃらなくて結構です。

           このたび、我が同朋が貴女様によって深き眠りより目覚めたとの知らせを受けた際、失礼ながらその身辺を調べさせていただきました。

           その無礼を今、ここでお詫び申し上げます。

 

そう言いながら、彼はうやうやしく頭を下げた。

 

主:いえ…お詫びだなんて。

  このようなお茶会に招待していただき、とても光栄に思っています。

 

H:ふふっ。貴女様のような可憐なレディに、そのように喜んでいただけるのでしたら、僕もこの屋敷に仕える者の1人として心からうれしく思います。

  ただ…。

 

主:?

 

H:どうぞ、僕のことはルディとお呼びください。

  それから、僕たち人形に敬語は必要ありません。

  たとえどのような立場の人間に仕えていようと、僕たち精霊人形は皆人間の僕。

  人間であられる貴女様に、敬われるような身分ではありませんから。

 

主:でも…。

 

と、言いかけたとき、私にある考えが浮かんだ。

 

主:だったら、ルディも私に敬語を使うのをやめて。

  私もなんだか落ち着かないわ。

 

H:…ああ、なんてお心が広い。

  人ならざる卑しい僕たちに、人と分け隔てなく接してくださるとおっしゃるのですね?

  なんと情け深く、尊いお考えでしょう。

 

大きく頷いているルディに、私はちょっと困った。

私はただ、お人形さんたちともっと親しくなりたい、そう思っただけなのだ。

そんなに褒め称えられるほどのことを言ったつもりはないんだけど…。

 

H:ただ、今日僕は皆様をもてなす側ですから、そのへんは適宜使い分けさせていただくということでよろしいですか、お嬢さん。

 

主:もちろんけっこうよ。

  私もそのようにさせていただくわ。

 

私もルディにつられて、芝居がかった口調になっていた。

 

H・主:…ふふっ。

 

私とルディは、お互い顔を見合わせて笑った。

 

なんて人懐こい笑顔だろう。

こんな笑顔を向けられたら、誰だってつい笑顔になってしまう。

 

H:おっと、僕はまだ準備があるんだった。

  じゃ、また後でね、お嬢さん。

 

〔ホブルディ退場〕

 

過剰なほど丁重な物腰から一転、ルディは軽やかにそう言って微笑むと足早に向こうへ行ってしまった。

 

ホブルディ…なんてきらびやかなお人形だろう…。

 

私はまだ、ルディのきらきらした余韻に浸っていた。

 

?:お前が新しいオーナーか。

 

主:!

 

突然かけられた、低く、無表情な声に、私はドキッとした。

 

?:……………。

 

彼はいつからそこに立っていたのだろう。

思わず後ずさりたくなるほど、彼は私のすぐ側にいた。

動揺を隠せないまま彼を見上げると、眼鏡の向こうの冷たい目と視線がぶつかった。

黒い髪に黒い外套。そして銀色に鈍く光る眼鏡。

彼のその姿は、この真昼にありながら「夜」を思わせた。

 

?:ふむ…。

 

彼は何はばかることなく、私の顔をじっと見つめた。

 

いくらなんでも、ここまであからさまにじろじろ人の顔を見る人ってめずらしい…。

 

私はなんだか目のやり場に困った。

 

?:お前は何歳なのだ?

 

主:え?

 

?:年齢を聞いている。今、何歳なのだ?

 

主:じゅ…17歳です…。

 

?:ふむ。

  それにしては、少し幼く見えるが。

 

うっ…。

ひそかに私が気にしていることを…。

私はいつも実際の年齢より幼く見られる。

それって、ようするに大人の女性…レディにはまだ程遠いってことよね。

レディには及ばなくても、せめて年相応に見られたい…。

 

?:しかしそう思って見れば。

 

彼は、私の頭からつま先に向かって視線をゆっくりと歩かせた。

 

?:なるほど。

  身体の方は正常に発育しているようだな。

 

……え?

…ええッ!?

 

〔?退場〕

 

それだけ言うと、彼はもう私に興味はなくなったとばかりに行ってしまった。

 

今、なんだかすごく恥かしいことを言われたような…。

……………。

…あ、あんまり追究して考えないようにしよう…うん。

 

はあ…さっきとは別の意味でドキドキした…。

そういえば、彼の名前も聞かなかったけど。

彼はたぶん人形…よね。

 

瞳に宿るのは鈍い銀光。従えるのは秘密めいた漆黒。

彼は美しかった。非の打ち所なく。

 

社交辞令などどこ吹く風、といったその言動よりも、それが彼を人形だと思った最大の理由だった。

 

正直、項のネジをのぞけば、見た目だけで精霊人形と人間を区別することはむずかしい。

彼らは容姿が完璧すぎることを除けば、外見上は人間となんら変わらなかった。

だからこそ精霊人形は、人目を恐れずに生活することができるのだけれど。

 

?:やれやれ。彼には困ったものだね。

 

落ち着いたやわらかい声。

たおやかなその声が聞こえた辺りに、私は顔を向けた。

 

?:お嬢さん、今の無礼を彼に代わって私がお詫びするよ。〔微笑んでいる〕

 

主:…………。

 

顔を向けて、私はそっと息を呑んだ。

“麗人”とは、きっとこういう人のことをいうのだ。

薔薇の園にあってその人は、どの薔薇よりも美しく咲き誇る薔薇の精霊のようだった。

 

?:彼はジャック。

  男爵家であるベックフォード家の子息、アーヴィン・ベックフォード氏の人形だよ。

 

その美しい人はさっきの彼について教えてくれた。

 

?:飾らない性格は彼の美点でもあるが、どうも率直すぎるところがあってね。

  さっきの言葉も、決して悪意があって言ったわけではないのだからどうか許して欲しい。

 

話を聞きながら、私は知らずしらずのうちにうっとりとこの美しい人に見とれていた。

そしてその声から、私はこの薔薇のような人が女性ではなく男性なのだということを知った。

 

……ああ、この美しさの前では、男とか女とか関係ないわね…。

 

私はなんだか夢見心地だった。

 

?:そうだ、自己紹介がまだだったね。

  私はヴィクター・レドモンドの精霊人形、ジル。

  どうぞ、よろしく。

 

主:わ…私は、アストリッド・エイミス…ともうすま△※☆&

 

…………………。

噛んだ…。

 

ジル(以下G):ふふっ。お嬢さん、ずいぶん可愛らしい自己紹介だね。

        よかったらもう一度、君の名前を聞かせてもらえるかな。

 

私の言い損ないを「可愛らしい」と言った彼は、いっそうやさしい微笑みを浮かべ、さりげなく私にやり直す機会を与えてくれた。

 

そう…気を取り直して、最初から…。

 

主:…アストリッド・エイミスと申します。

  ジルさん、今日はお目にかかれて光栄です…。

 

……よかった。今度は噛まなかったわ…。

最初の挨拶でしくじるなんて、ちょっと自己嫌悪…。

 

G:「アストリッド」…美しい名前だね。

  どうぞこれからよろしく、アストリッド嬢。

 

主:こちらこそよろしくお願いします。

  ジルさん。

 

G:ふふっ。アストリッド、さっきもホブルディに言われていただろう?

  敬意を表してくれる心はありがたいが、私たちに敬語はいらないよ。

  ……ところでお嬢さん。

  慣れない場所で緊張するのはわかるが、今日は君たちが主役なのだから、もう少しリラックスしたほうがいいね。

 

そう言うとジルは薔薇を1輪手折り、私に持たせた。

 

G:その薔薇は特に香りが素晴らしい品種でね。

  ちょっと嗅いでごらん。

 

ジルに勧められるまま、私はその薔薇の匂いを嗅いだ。

 

甘く、鮮烈な香り。

 

もう1度、今度はもっと深く吸い込んだ。

 

華やかで清々しいその香りは、私の内側を濯いで、薔薇色に染め上げるようだった。

 

G:どう?気に入ってもらえたかな?

 

主:ええ。

  とってもいい香り…。

 

私がそう答えると

 

G:そう、その笑顔。私が見たかったのはその顔だよ。

  可愛いお嬢さん、今日は1日、その愛らしい笑顔で過ごして欲しい。

 

そう言って彼は心からうれしそうに微笑んだ。

 

咲き乱れる薔薇の花。立ち上る薔薇の匂い。

そして、薔薇の化身のようなジル。

 

私は、薔薇に酔ったような気分だった。

 

W:さっきから赤くなったり青くなったり、まあ、お忙しいことで。

  そうやって花持ってヘラヘラしてると、マヌケ面がいっそうマヌケに見えるぜ。

 

主:!

 

W:おまけに、あんな何でもねえ挨拶で思いっきり噛んでやがったし。

 

主:……………。

 

………ウィル。

…ずっと私のこと見てたのね…。

精霊人形たちを前にして、1人舞い上がっていた自分が恥かしい…。

 

G:ウィル。再会早々、説教じみたことは言いたくないが…オーナーに対してその態度は感心できないね。

  精霊人形にとってオーナーは、常に敬わなければならない存在のはずだ。

  今の君の言動は、精霊人形としてふさわしくないと思うのだが。

 

W:……ふん、ほっとけ。

 

〔ウィル退場〕

 

G:………。〔苦笑〕

  アストリッド、ウィルは決して心根の悪い人形ではないのだが…。

  なかなか手強い人形だということを覚えておいた方がいいだろうね。

 

……覚悟しておきます…。

 

H:皆様。たいへんお待たせいたしました。

  準備も整いましたので、さあこちらへ。

 

私たちはルディの案内で席に着いた。

 

 

〔街〕

W:……………。

 

お茶会は2時間ほどでお開きとなり、今、私はウィルと2人家路についていた。

 

私はまだふわふわした気分のまま、あの時間を思い返していた。

 

〔暗転〕

ホブルディ。金色の人形。

彼のオーナーは、お茶会の主催者、伯爵令嬢であらせられるグロリア様だった。

20代前半といった年頃のグロリア様は、隣に並ぶルディに何一つ見劣りするところがないほどに美しい方で。

しかもその立ち居振る舞いは優雅さにあふれ、その上、初対面の私にもおやさしかった。

ああいう女性を本物の貴婦人というのね。

私もいつか、あんな素敵なレディになれる日がくるのかな。

 

そしてジャック。漆黒の人形。

彼のオーナーは、男爵家のご子息、アーヴィン様だった。

年齢は18歳。今日の出席者の中で、1番私と年が近い方ということになる。

アーヴィン様はずいぶん繊細な方のようだった。

誰に話しかけられてもうまくお言葉が返せず、ずっとおどおどとしたご様子でいらっしゃったのは、見ていて少し心配になるほどだった。

そんなアーヴィン様は終始ジャックにべったり…という感じだったのだけれど。

ジャックの方は淡々としたもので、アーヴィン様を甘やかすわけでもなければ、邪険にするわけでもなかった。

気はとても弱そうな方だったけれど、きっと悪い人ではないわ。

 

そしてジル。薔薇色の人形。

彼のオーナーは、ヴィクター・レドモンドさんだった。

見るからに紳士然とされていたレドモンドさんは、グロリア様やアーヴィン様と違って貴族ではなかったけれど、ジェントリと呼ばれる貴族に次ぐ階級に属する方だった。

ご商売で大変成功された方らしい。

レドモンドさんは最低限の自己紹介をされた後はほぼ無言だった。

こういう社交の場はあまりお好きではないのかもしれない。

 

新しい3体の精霊人形とそのオーナー。

ああ。これからも今日みたいにみんなで一緒に過ごすことができたら、本当にうれしい。

私は胸が躍るのを抑えられなかった。

 

W:あんまり浮かれてると犬の糞踏んづけるぞ、ヒョロヒョロリボン。

 

〔暗転明け〕

主:えっ!うそっ!

 

私はあわてて足元を見回した。

 

W:バーカ。

  今そこに落ちてるなんて言ってねえだろ。

 

…そうでした。

 

主:ねえ、ウィル。

  また今日みたいなお茶会を持てたら素敵ね。

 

W:行きたきゃ1人で行け。

  俺はもうたくさんだからな。

 

ウィルのつくづくうんざり…と言わんばかりの口調に、私は少しがっかりした。

ウィルは久しぶりにお友達に会えて、うれしくなかったのかな…?

 

と、ふいにウィルは立ち止まった。

 

主:…ウィル?

 

ウィルの視線の先に、私も目をやる。

 

そこには美しい青年が立っていた。

端整な顔立ち。銀色の長い髪。ルビーを思わせる真紅の瞳。

 

…真紅の瞳?まさか…!?

 

?:久しぶりだな。ウィル。

 

ウィルの知り合いということは、やっぱり彼も人形…ということ?

 

W:ああ。

  俺の凍結が解かれたのをあいつらに知らせたのはイグニス、お前か。

 

「凍結」…?魂が入っていない、いわばただの人形のときのこと…よね。

ということは、「凍結が解かれる」とは、人形を目覚めさせることね…きっと。

 

イグニス(以下I):そうだ。それも私の仕事のうちだからな。

 

W:まあ、ご苦労なことで。

  俺にそんな仕事が押しつけられてなくて、つくづくラッキーだったぜ。

 

I:ふっ…たしかにお前は幸運だった。

  完全に行方がわからなくなっていた擬似魂が見つかって、再び生を得ることができたのだからな。

 

W:別に頼んだ覚えはねえよ。

  凍結もその解除も、すべて人間サマのご機嫌次第だ。

 

I:減らず口は相変わらずだな、ウィル。

  …まあいい。

  それより。

 

イグニス…そう呼ばれた、おそらく5体目の精霊人形は私を見た。

 

I:お前がウィルの新しいオーナーか。

 

主:…はい。

 

イグニスはじっくりと私を見た。

今日はいったい何度目だろう。こうして人形の視線にさらされるのは。

 

I:この娘がオーナーの座についたのなら…。

 

私が、オーナーの座についたのなら?

 

I:人形たちの運命が動き出すかも知れんな。

 

W:……!

 

〔イグニス退場〕

 

そう言い残し、イグニスは私たちの前から立ち去った。

 

イグニス。銀色の人形。

彼のその姿は、この夏の季節にあってなお、真冬の夜空に浮かぶ月を思わせた。

冴え冴えと美しく……そして冷たかった。

そして、彼の去り際の言葉。

あれは…。

 

主:…ウィル、彼も人形なんでしょう?

 

W:ああ、そうだ。

 

主:ねえ、“人形の運命が動き出す”って…どういうこと?

 

W:………………。

  ……さあな。イグニスが言ったことを俺が知るわけねえだろ。

  それよりさっさと歩け。今日はいつもにまして一段と歩き方がのろいぞ。

  浮かれるのは勝手だが、ほどほどにしとかねえと今夜は野宿だぜ。

 

そう言い終わるか終らないかのうちに、ウィルは再び歩き出した。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

〔キッチン〕

夕食の後片付けを、私はウィルとしていた。

ウィルが食器を洗い、私がクロスで拭く。

 

S:真面目に働いてるね。感心感心。

 

W:…チッ。

 

ウィルは舌打ちすると、叔父さまを無視して食器を私によこした。

 

これまで、叔父さまがいる間の家事はデイビスさんが請け負ってくれていた。

だけど、ウィルの正体を知られることを心配した叔父さまは、しばらくは家の中に人を入れないことにした。

 

私もそれには賛成だった。

もしもウィルの正体が世間に知れたら…きっとこんな風にのんびり暮らすことはできない。

 

でも、実のところ家事はかなりの労働だ。

家政婦さんに入ってもらえないとなると、雑事すべてを自分たちでやらなくてはならない。

もちろん、私はそのつもりだった。

寮生活となった今はあまり必要がなくなってしまったけれど、お爺さまの元に身を寄せる前はお母さんに習いながら私も一緒に家事をしていたのだ。

だから一通りのことは身についている。

叔父さまに家事をやってもらうつもりはなかった。

叔父さまはお仕事で忙しいんだもの。この上、家のことまでなんてさせられない。

ごく日常的なことくらい私1人でなんとかやれるわ。

そう思っていたんだけど。

 

叔父さまはウィルに家事を手伝ったらどうかと言った。

もちろん、人手を増やすことが1番の理由だったろうと思う。

でもそれだけじゃなく、叔父さまはウィルをお飾り人形のようにただ遊ばせておくのは惜しいという気持ちがあって提案したようだった。

 

この話を持ちかけられたとき。

もちろん、というか、予想通りというか…ウィルは反発した。

 

〔回想・リビング〕

W:家事だって?ふん…バカバカしい。俺は御免だぜ。

  だいたい、なんでオーナーでもないお前に命令されなきゃならねえんだ?

 

S:たしかに僕は君のオーナーじゃないけど、この屋敷のオーナーは僕だからね。

  この屋敷にいる限り、君は僕の意見に耳を貸さないわけにはいかないんじゃないかな。

  それともいっそ、ここを出ていくかい?

  アズをさらって駆け落ちみたいにさ。

 

「駆け落ち」って。

恋する男女が、手に手をとって…ってあれよね。

 

W:はあっ!?

  こいつと駆け落ち!?

 

S:だって君はアストリッドから離れて生きられないんだろ?

  だったら彼女を連れて行かないわけにはいかないよね?

  2人で安アパートでも借りてさ。

  「貧乏でも、愛さえあればなんにもいらない」みたいな生活?

  美貌の人形と可憐な美少女の愛の逃避行なんて、ロマンチックな話じゃないか。

 

W:………!!

  メロドラマみてえなシチュエーション、勝手に設定すんじゃねえよ!

  ふん、誰がこんなガキと駆け落ちするか!!

  それに、このヒョロヒョロリボンの一体どこが「可憐な美少女」なんだ?

  身内の欲目もここまでくると、あきれてものも言えねえぜ…!

 

………………。

…ウィル…全力で否定してる…。

 

S:OK、OK。君の考えはよくわかったよ。

  じゃ、家事の方よろしくね、ウィル。

 

〔サイラス退場・ドアの開閉音〕

 

W:…あっ…おいっ!

  ……チッ。

  あのクルクルパーマめ…!

 

“クルクルパーマ”って叔父さまのこと?

でも、叔父さまの髪ってパーマネントじゃないのよね…。

もともとくせっ毛だから…。

 

……って、そんなことはともかく。

 

こうして、不本意ながらもウィルは家事を手伝ってくれることになったのだった。

 

〔回想明け〕

S:ウィルもどうせ時間をもてあましてるんだろ?

  だったら家事はいい退屈しのぎになるじゃないか。

 

W:………………。〔不機嫌な顔〕

 

………?

あれ?いつもならここで何か言い返すはずなのに。

特に食事の後片付けは、人形の自分は食事してないのに、とか、食器は使ったヤツが洗え、とか。

 

S:じゃ、僕は書斎にいるから。

 

〔サイラス退場〕

 

キッチンはまた、私とウィルの2人だけになった。

 

W:……………。

 

ウィルは黙々と食器を洗い。

 

主:……………。

 

私もまた黙々と食器を拭いた。

 

もしかして今夜のウィルは、普段にも増して機嫌が悪いのかな…。

叔父さまに口答えもしないウィルに、私は少し心配になってしまった。

 

……こんな調子で大丈夫かな。

今日は初めての“あの日”なのに。

 

W:おい…アストリッド。

 

一足先に仕事を終えたウィルが話かけてきた。

 

W:まさかとは思うが…今日が何の日か忘れてないだろうな。

 

主:大丈夫よ。今日は“接蝕日”ね。

 

接蝕日。

それは、オーナーが自分の魂を精霊人形に提供する日。

“魂の提供”…それは精霊人形を生かし続けるために必要不可欠な行為だった。

 

器に擬似魂が宿ることで精霊人形は生を得ている。

擬似魂とは、人間が人形に命を与えるために作り出した人工的な魂だ。

生き物に宿っていない霊体…精霊から作られているという。

 

でも擬似魂は、人間が持つ本物の魂に比べ不完全で、擬似魂単独では器に宿り続けることができない。

そのため宿り続ける定着力とでもいうべき力を、擬似魂は人間の魂からわけてもらう必要があった。

 

人形は、自分の擬似魂をオーナーに移し、オーナーの魂から定着力を取り込む。

そうして再び定着力を得た擬似魂を器に戻らせて、人形は生命を保つ。

この行為を“接蝕(せっしょく)”と言う。

 

接蝕は、生き物が持つ生理的欲求…例えば、食欲とか、睡眠欲とか、そういうものを持たない精霊人形が唯一持つ、身体的欲求だった。

そして接蝕の相手はオーナーに限られた。

自分を目覚めさせた人間でなくては、人形は擬似魂を移動させることができない。

 

そしてこの定着力は一定時間を過ぎると低下してしまうため、接蝕は定期的に行う必要があった。

周期は2週間。

もし接蝕を怠れば、擬似魂は器から流出して、精霊人形は凍結状態…つまり、ただの人形に戻ってしまう。

そのため精霊人形とオーナーにとって、接蝕は何より大切な行為だった。

 

ウィルは今日、その“接蝕日”を迎えていた。

 

主:接蝕の要領はウィルを目覚めさせたときと同じでいいの?

 

W:ああ、そうだ。

 

私はすべてのお皿を拭き終えていた。

これからこのお皿を食器棚に戻さなくちゃならないんだけど…。

 

主:じゃあ、そろそろ始めたほうがいい?

 

W:…そうだな。お前の都合が悪くなければ。

 

!?

ウィルの口から、こんな遠慮がちな言葉がでてくるなんて…。

 

しかも今のウィルは、いつものふてぶてしいような態度とだいぶ違っていた。

どこか不安げ…とでもいうのだろうか。

これも今日が接蝕日のせい?

 

私は叔父さまの話を思い出した。

ウィルが目覚めてから、叔父さまはより本腰を入れて精霊人形について調べていた。

 

精霊人形は擬似魂の定着力が弱まってくるにつれて、精神も不安定になるのだそうだ。

“精霊人形はオーナーに服従する”

この記述は、特にこの時期の人形のことを指しているらしい。

人形の、この精神不安定状態は霊体の不安定化によるものだ。

だから、通常霊体が不安定になることがない人間には感じることができない感覚なのだそうだ。

簡単に言うと、精神の安定を欠いた人形は自我が極度に弱まり、結果、自分の生命の拠り所であるオーナーに服従せざるをえなくなる…そういうことらしかった。

裏返せば、霊体が安定している普段の人形は人間と変わらない精神状態であるから、オーナーに従わなくても不思議はない、ということでもあった。

 

主:じゃあ、始めましょう。

  えっと、場所は…、ウィルのお部屋でいい?

 

W:ああ。

 

そう答えたウィルの顔に、ほのかに安堵の色が浮かんだ。

ウィルのこんな表情を見るの、初めてかも…。

 

 

〔ウィルの部屋〕

W:………………。〔浮かない顔〕

 

このお屋敷には使っていない部屋がいくつもあった。

もともと叔父さま1人で暮らすには広すぎるお屋敷なのだ。

叔父さまは留守がちなこともあって必要最低限の部屋しか使っておらず、ほとんどの部屋は手つかずになっていて。

その空き部屋の一室を、ウィルは自室用としてあてがわれていた。

 

〔ドアの開閉音〕

 

S:いよいよ始めるんだって?

 

W:チッ。

  なんでお前が…。

 

ウィルはそう言って叔父さまを睨んだ。

 

主:叔父さまも見学したいんですって。…ダメ?

 

W:…お前がいいって言うんなら…、もういいっ!勝手にしろっ!

 

なんだか投げやりな態度が気になったけれど、とりあえず許してもらえたみたい。

 

主:じゃ、始めましょう。

 

W:………ああ。

 

そう答えると、ウィルは私の前で体を屈め、立て膝をした。

床に片膝をつけた彼の目線は、私のつま先にあった。

その伏せた目に、私は初めて“人形の従順”をウィルに見たような気がした。

 

ウィルの額に、私は左手のひらを置いた。

 

冷たい肌。

そう、彼は人形だから体温はない。

今さらのように私はそう思った。

 

そして、私は目を閉じた。

 

〔暗転〕

意識をウィルに向ける。

 

ウィル…私はここよ…。

 

私はウィルに呼びかけた。

 

ウィル…。

 

ウィル…。

 

…………。

 

……。

 

と、間もなく。

奇妙な感覚が私を襲った。

 

“乾く”とでもいうのだろうか。

冬、乾燥で手や唇がひび割れることがある。

あれが内側で起こっているような…。

苦痛…と言うほどではなかったけれど、どちらかと言えば不快な感覚だった。

 

どのくらいそうしていただろう。

その感覚が収まったところで、私は目を開けた。

 

〔暗転明け〕

ウィルは目線こそ私の顔のあたりに向けていたけれど、姿勢は片膝をついたままだった。

   

主:ウィル…?

 

声に出して呼びかけてみる。

 

主:ウィル?

 

ウィルは返事もしなければ、微動だにしなかった。

 

S:終わったんじゃないかな?

 

主:そ、そうね。ウィルが言ってた通りだもの。

 

私はウィルの額から手を離した。

 

接蝕を終えた精霊人形は、霊体の安定のためしばらく休眠状態になる。

これは人間でいうところの、いわば睡眠のようなものだった。

ただ、人間の睡眠と違って、休眠中の人形は、呼びかけたり、叩いたり、それこそ何をしても目を覚まさないらしい。

つまり、今、ウィルは“ただの人形”なのだった。

 

私は改めてウィルを見た。

 

W:……………。〔無表情〕

 

あいかわらず美しかった。棺を開けたその日のままに。

 

でも、いかに美しくとも。

今、この人形に生命の痕跡は感じられなかった。

 

硬直した体。結ばれたきりの唇。そして、開いているのに何も見ていない目。

人形然とした彼は、部屋を飾る静物の1つと化して私の足元に膝をついていた。

 

“生きている”ウィルを知っている今の私にとって。

すべてが停止したこのウィルは“眠っている”というよりも“死んでいる”ように見えた。

 

“朽ちることない死体”…それが精霊人形という器の本性ではないだろうか。

その“死体”に、一時生命が宿る。人間によって、かりそめの命が。

 

私はこれから、この人形をどうしていったらいいのだろう。

 

正直、不安だった。

ウィルを生かし続けることが、ではない。

ウィルは、普段の態度こそああだけれど、私たち人間に敵意がないことは一緒に暮らしてわかったから。

…好かれてはいないにしても。

 

私が不安に感じたのは。

漠然としすぎていて、うまく言葉にできないのだけれど…。

しいて言うなら“精霊人形という存在そのもの”だろうか。

 

…………でも。

それと同時に。

 

私は、自分の心がこの精霊人形というものに、強く惹きつけられていることを感じずにはいられなかった。

 

 

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