第3章:精霊人形という身上

(1)

〔街〕

私は1人、街を散策していた。

 

お店やオフィスが立ち並ぶこの通りを行き交う人は多く、街はにぎわっていたけれど。

散策にふさわしいのどかな空気もどこかしら漂っていた。

 

叔父さまのお屋敷に来たのが4年ぶりなら、この街を歩くのも4年ぶりということになる。

 

おぼろげな記憶と目に映る景色を照らし合わせながら、私は足の向くままに歩き続けた。

 

休眠を終えたウィルは、まるで何事もなかったようにいつものウィルに戻っていた。

皮肉屋ぶりも、愛想の悪さも健在なら、文句を言いながらも家事を手伝ってくれるところも変わっていなかった。

 

接蝕は、私にはとても不思議で奇妙な体験だったけど、精霊人形のウィルにとってはごく当たり前の行為だからだろう。

目を覚ましたウィルが、あの行為について何か口にすることはなかった。

 

私は元に戻ったウィルにほっとしながらも、あの従順なウィルにも、なんだか、少し、心が動かされた。

 

……なんて、思っちゃダメかな?

だってあの日は、本人の意志がうまく働かない特別な日なんだから、そんなふうに思うのはいけないのかも…。

 

そんなことを考えながら歩いていると、シロップの入った瓶と果物を並べた露店が目にとまった。

 

……ちょっと、喉が渇いたな…。

 

私はそこで、レモネードを買った。

 

店先に並べられた椅子にかけ、私はレモネードを飲みながら通りをながめていた。

 

足早な人、立ち止まっておしゃべりしている人、重そうな荷物を抱えた人。

子供たちは笑い声を立てながら駆け回り、馬車が走り抜けて行った。

 

主:!

 

私は人波の中に、際立って美しい横顔を見つけた。

 

H:…………。

 

それはルディだった。

 

H:!〔主人公と目が合う〕

 

と、ルディも私に気づき、こちらへ駆け寄ってきた。

 

H:お嬢さん、お茶会以来だね。ご機嫌いかが?

 

ルディは、初めて会ったあの日のようにきらきらした笑顔で私に挨拶した。

 

主:こんにちは。

  この間はいろいろありがとう。お茶会、とても楽しかったわ。

 

H:ふふっ。喜んでもらえて僕もうれしいよ。

  ところで今日は1人なの?

 

主:ええ。ルディは?

 

H:僕もそうなんだ。

  あ、隣、いい?

 

主:ええ。

 

ルディは椅子に腰かけた。

 

H:…ねえ、アストリッド。突然だけど。

  君は姫をどう思う?

 

主:姫…グロリア様のこと?

  とっても素敵な方ね、グロリア様って。

  お綺麗で、おやさしくて、とっても優雅で。

  私、憧れるわ。ああいう大人の女性って。

 

H:……ふーん。君の目にもそう見える?

  見目麗しき伯爵令嬢。

  数多の美姫集う社交界においても、一際美しく咲き誇るマクファーレン家の名花。

  その美しさに並ぶ者なく、昼は輝く太陽、夜はきらめく星の如し。

  …でも、本当はくだらない女だよ、グロリアは。

 

…え。

私は耳を疑った。

 

H:ああ見えて、グロリアは恋愛で大失敗してるんだよ。

 

あのグロリア様が?

 

H:結婚直前、婚約者に婚約を反故にされたんだ。

  彼は伯爵令嬢よりジェントリの娘の方がよかったみたいでさ。

  まあ、伯爵令嬢なんて、ステータスはあっても恋愛相手としては気位ばっかり高くて、つまんないのかもね。

  もうプライド、ズタズタ~って感じ?

  あれからもう1年ぐらい経つっていうのに、まだそれを引きずってて、今はほとんど引きこもり状態。

  生身の男なんてもうこりごり。それより、お人形さん相手の方がよっぽどいいわ。

  だって、お人形は私に逆らわないもの。

 

………!

 

H:…そーいうの、僕、鬱陶しいんだよね。

  人前では淑女を装ってても、心の中、ドロドロのぐちゃぐちゃでさ、あー、もう、うんざりって感じ。

 

………ルディ。

 

H:ま、そうは思っても。

  僕たち人形はオーナーの機嫌取るのが仕事みたいなものだから、グロリアの前では“よい人形”を演じてるけど。〔にっこり〕

 

主:……………。

 

そう語るルディに、私は返す言葉がなかった。

 

………私は。

人形とオーナーは、深く信頼しあっているものだと思っていた。

でもそれは、そうであって欲しいという私の願望に過ぎなかったのかもしれない。

 

よく考えれば、私だってウィルとそんな関係が築けているとはいえなかった。

まだ出会って日が浅いこともあるけど…でも、この先、本当にウィルとそんな関係になれるのだろうか?

 

人形とオーナー。

特殊な関係ではあるけれど、人形、オーナー、それぞれに感情、考えがある。

だからいつもうまくいくわけではない。

人と人との関わりがそうであるように。

 

でも…。

 

主:ルディ。グロリア様は、心からその人を愛していらっしゃったのよ。

  だからこそ、傷も深かったんだと思うわ。

  恋に苦しむグロリア様のお姿は、ルディには無様に見えたかもしれないけど…。

  でも、苦しんでいる人を嘲るようなことは言って欲しくない。

 

H:……ふーん…。

  君はやさしいね、あんなくだらない女の肩を持つんだから。

  それはやっぱりグロリアが君と同じ人間だから?

 

え?

 

H:そのやさしさを、人形の僕にもわけて欲しいな。

 

そういうとルディは私の肩を抱き寄せた。

 

主:!!

 

サファイアのような瞳が、やさしく微笑む。

 

今さっきまで、傷ついた女性を嘲笑っていたとは思えない無垢な微笑み。

 

主:…………!

 

私は混乱していた。

ルディはどういうつもりなの…!?

 

そのとき。

一台の馬車が私たちの前で止まった。

 

H:姫。

 

私の肩にまわした手をはずし、ルディは立ち上がった。

 

馬車にはグロリア様が乗っていた。

 

グロリア(以下Gl):ルディ。こんなところで何をしているのかしら?

          あなたにはいくつか用事を言いつけておいたはずだけど。

 

…グロリア様、少し怒ってらっしゃる?

 

H:申し訳ありません。姫がそのようにお急ぎとは存じ上げなかったもので。

  これから至急致します。

  じゃ、アストリッド。またね。

 

ルディは簡単に別れの挨拶をすると、馬車に乗り込もうとした。

そのとき。

 

Gl:アストリッド、あなたもいらっしゃい。

  私、少し暇を持て余しているの。

 

そうおっしゃって、グロリア様は私を見た。

優雅な微笑みを浮かべながら。

 

でも。

なぜだろう。

この間はあんなに美しいと思った微笑みが、今は冷ややかに感じられるのは。

 

H:姫はこれから、面会の予定があったのではありませんか?

 

Gl:そんなものはキャンセルよ。

  さあ、こちらへいらっしゃい。

 

主:…………。

 

私に、お誘いを断る理由はなかった。

 

 

〔マクファーレン邸・応接間〕

私は応接間に通されていた。

 

主:……………。

 

私は落ち着かなかった。

その理由は、お屋敷の広さや、室内を飾る豪華な調度品のせいばかりではなかった。

 

Gl:……………。

 

グロリア様は私の正面に座っていた。

 

H:……………。

 

ルディは、グロリア様の脇に控えていた。

 

Gl:ねえ、アストリッド。

  あなたは精霊人形のことをどう思っているのかしら?

 

…………?

 

「精霊人形をどう思っている」?

 

“どう”って……。

 

私は、ウィルを思い浮かべた。

 

皮肉屋のウィル。

 

エプロンにプラムを投げ入れてくれたウィル。

 

私をからかうウィル。

 

ぶつぶつ言いながら、お皿を洗うウィル。

 

接蝕日の不安げなウィル。

 

ただの人形のウィル。

 

………………。

 

“人形をどう思っている?”

 

どう、答えたらいいのだろう…。

 

私にとってウィルは…。

 

私はウィルを…。

 

主:……………。

 

Gl:答えられないかしら?

 

グロリア様は、答えあぐねている私にしびれを切らしたのだろうか。

私より先に口を開いた。

 

Gl:じゃあ、私が教えてあげるわ。

 

……?

 

Gl:精霊人形はね、人間の奴隷よ。

 

主:…!?

 

H:……………。

 

Gl:私たち人間をはじめ、命あるものはすべて神様がお創りになったものよ。

  犬・猫・馬・鳥・魚……虫や植物にいたるまで。

  つまり、すべての生き物は、神様によって生命を与えられているという点においては平等だわ。

  でも、人形は違う。

  人形は、その器も、魂も、人間が人間のために作ったものよ。

  だから彼らは、家畜や虫けら以下。彼らに生命の尊さなんて認められない。

  生まれながらの奴隷なのよ、人形は。

  ねえ、そうでしょう、ルディ。

 

H:……はい。〔暗い表情〕

 

主:…………!

 

“人形は人間の奴隷”

 

なんて…。

 

なんて、嫌な言葉だろう。

 

……………。

 

…………………。

 

…グロリア様は。

 

グロリア様は、伯爵令嬢で…、私よりずっと大人で…、お美しくて…。

 

……でも。

 

主:グロリア様。私は…違うと思います。

  私は、人形を人間の奴隷だなんて思いません。

 

Gl:あら…そう?

  でも、人形は奴隷にできるのよ、オーナーなら。

  身の回りの雑事なんてありきたりなことはもちろん、苛立つ日は理由もなく打ったってかまわない。

  それに、恋人代わりに使うことだってできるわ。

 

主:……!

 

グロリア様は、失恋の傷をルディで埋めようとしていたのだろうか…。

でも、ルディは…。

 

私は悲しくなった。

グロリア様にも、ルディにも。

 

主:…グロリア様。私は、人形を奴隷にしたいなんて思っていません。

  人形を奴隷にしても…私は…私は少しもうれしくなんかありません。

 

H:…!

 

Gl:…………。〔冷たい視線〕

  あなた、いい子なのね。

  苦労も知らず、ぬくぬくと育ったのでしょう。

  そうね…17歳…まだ、本物の恋も知らない子供ですものね。

  そういう“いい子”って、私…。

  嫌いよ。

 

主:……!

 

Gl:ルディ。この子を殺しなさい。

 

H:えっ?

 

Gl:この子を、殺しなさい。

 

主:!?

 

H:姫、おっしゃっている意味がわかりませんが…。

 

Gl:言葉通りの意味よ。

  この子を、今、この場で殺しなさい。

 

ルディは私を見た。

私もルディを見た。

 

私たちは目で通じ合った。

“グロリア様は、本気だ”

 

H:姫、そのようなこと…できるわけがありません。

  彼女が何をしたと言うのですか!?

 

Gl:気に入らない、ただそれだけよ。

  ルディ、私の命令が聞けないの?

  私はあなたのオーナーなのよ!?

 

H:…………。

 

ルディは困惑しきっていた。

 

私は…私はどうしたらいいの?

ルディがグロリア様の命令に従うなら…私は、ルディに殺されてしまう!?

 

H:…………………。

  ………姫。

 

ルディが、苦しげに口を開いた。

 

H:姫、僕にはできません。理由もなく人の命を奪うなど…。

  どうか…、どうかそれだけはお許し下さい。

 

Gl:ルディ、私の命令に逆らうのね。

  人形の分際で。

 

H:いえ…そのようなつもりは…。ただ…。

 

Gl:どう取り繕おうが、そういうことでしょう?

 

H:ああ…姫…。

 

ルディはこれ以上、グロリア様のお怒りを静める言葉が思いつかなかったのだろう。

彼は深いため息をついた。

 

Gl:………まあ、いいわ。

  どうしてもできないと言うのなら、今の命令は取り消してあげる。

 

H:…ありがとうございます。

 

ルディは安堵の表情を浮かべた。

 

…とりあえず、安心して…いいのかな。

 

Gl:でもルディ。

  あなたには、私に背いた罰を受けてもらうわ。

 

H:!

 

え?

「罰」?

 

Gl:いいわね。

 

H:……承知しました。僕は姫の命令に背いたのです。

  それくらいは当然の報いと思って…お受けします。

 

「承知する」って…そんな…。

ルディは悪くないのに…!

 

Gl:アストリッド。

 

主:は…はい。

 

突然自分の名前を呼ばれ、私はドキッとした。

 

Gl:……どうしたのかしら、私…気分がすぐれないの。

  …………。〔ため息〕

  さっきから…ずっと気分が…。

  …だから…もう引き取って頂戴…。

 

〔暗転〕

私は、グロリア様のお屋敷を出た。

 

 

〔暗転明け・街〕

家路をたどりながら、私はさっきの出来事を思い返していた。

 

グロリア様…どうして突然、あんな無茶なことをおっしゃったの…?

私、そんなにグロリア様の反感を買うようなことをしたのかな…。

「人形は人間の奴隷じゃない」なんて、グロリア様のお考えを否定するようなことを言ったから?

それとも、街でルディに肩を抱かれていたから?嫉妬ってこと?

 

どちらにしても、殺されるほどの理由ではないような気がした。

 

それともグロリア様が最後におっしゃったように、ご気分がすぐれなかったせい?

ご気分がすぐれなくて…普段は口にされないような嫌なことをおっしゃった…。

 

………………。

 

考えたところでわからなかった。

 

でも、それ以上に気になることがあった。

グロリア様はルディに罰を与えると言った。

グロリア様は、ルディに何をするつもりなんだろう…。

 

 

〔屋敷・リビング〕

W:……………。

 

S:それはひどい話だな。

 

私は、今日の出来事を叔父さまとウィルに話した。

 

S:そもそも命令の意味がわからないよ。いきなり人を殺せだなんて。

  そりゃあ困っただろう、人形の彼も。

 

主:ええ。ルディが拒否してくれたから事なきを得たんだけど…。

  でも、グロリア様も本気じゃなかったと思うの。

  だって、結局は命令を取り消されたんだもの。

 

S:仮に冗談だったとしても、ちょっと許しがたい冗談だな、それは。

 

主:……………。

 

S:そういうヒステリックなオーナーだと、人形も苦労するよね。

  なあ、ウィル?

 

W:………………。

 

話しかけた叔父さまに、ウィルは答えず。

 

W:………………。

 

〔ウィル退場・ドアの開閉音〕

 

そのままリビングを出て行ってしまった。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

〔黒背景〕

身支度を整えた私は、部屋を出て玄関に向かった。

 

 

〔廊下〕

W:おい、アズ。

 

あ、ウィル。

 

W:……出かけるつもりか?

 

主:ええ。

 

W:ホブのところか。

 

ホブ…?

ああ、ホブルディ。ルディのことね。

 

私は頷いた。

 

主:グロリア様はルディに罰を与えるっておっしゃったわ。

  私、昨日からずっと気がかりで…。

  たぶん私が心配するほどのことはないって思うわ。でも…。

 

W:…………。

  付き合ってやるよ。

 

え?

 

W:1人で残って、あのクルクルパーマにメイド代わりをさせられるのも御免だからな。

  そうと決まればさっさと行くぞ。

 

 

〔マクファーレン邸・外観〕

…とにかく来てしまった。

だけどよく考えたら、ルディに会わせてもらえるのだろうか?

と、思ったのだけれど。

特に問題なく取り次いでもらえた。

 

 

〔黒背景〕

私たちは昨日と同じ部屋のドア前まで、執事らしき男性によって案内された。

彼はこの部屋でグロリア様を待つようにと言うと、私たちを室内まで通すことなく行ってしまった。

 

彼の対応に少し素っ気なさを感じながらも、言われた通り私はグロリア様を待つべくドアを開けた。

 

〔ドアの開閉音〕

  

 

〔応接間〕

 

H:……………。〔無表情〕

 

主:ルディ!

 

部屋では、ルディが1人立っていた。

 

主:ルディ、昨日はごめんなさい。

  私のせいであんなことに…。

 

H:……………。〔無視〕

 

主:…ルディ?

 

ルディの様子がおかしい。

いつもなら輝くような笑顔を見せてくれるのに、今日はこちらを見ようともしない。

 

主:ルディ、どうしちゃったの?

  ねえ、私の声、聞こえてる?

 

ルディは耳が聞こえていないようだった。

それに、目も見えていない…?

………もしかして、今、ルディは休眠中なの?

だったらこの状態もわかるけど…。

 

W:チッ。

 

ウィルの舌打ちが聞こえたときだった。

 

〔ドアの開閉音〕

 

Gl:いらっしゃい。毎日足を運んでもらえてうれしいわ。

  今日は彼も一緒なのね。

 

W:…………。

 

主:突然うかがって申し訳ありません。

  あの…グロリア様、ルディは

 

Gl:昨日はごめんなさいね。

 

私の言葉をさえぎるように、グロリア様はしゃべり出した。

 

Gl:ほんの冗談のつもりだったのよ。

  でも…あなたを本気で困らせてしまったみたい。

  本当にそんなつもりじゃなかったのよ。どうか許してね。

 

グロリア様はそう言って私に微笑みかけた。

グロリア様の微笑。ルディの無表情。

私は、何を信じたらいいのだろう?

 

グロリア様は私に席をすすめ、自分も腰かけた。

ウィルは私の脇に立った。

 

Gl:……それはそれとして。

  私は今、罰を与えているのよ。

  私の命令に背いた人形にね。

 

主:罰…?

 

Gl:ルディ、これから針仕事をするわ。準備をしなさい。

 

H:……はい。

 

ルディはかすかな声で短い返事をすると、戸棚に向かっていった。

 

休眠中ではなかったのだ、ルディは。

 

でも、その足取りはどこかぎこちなかった。

 

主:グロリア様、ルディはどうしてしまったのですか?

  いつもと様子が違うようですが…。

 

Gl:さっきも言ったでしょう?ルディに罰を与えていると。

  …ああ、あなたはまだ知らないのね、人形の扱い方を。

  じゃあ、教えてあげるわ。

  オーナーは知っておかなくてはいけないことよ。

  もっとも、人形は知られたくないことでしょうけど。

 

W:……!

 

Gl:彼を目覚めさせるとき、項のネジを締めたでしょう?

  そのことでもわかるように、あのネジは魂の固定に関与しているネジなの。

  奥まで締めなくては魂を定着できないし、ネジを抜けば魂も抜ける。

  つまり強制的に凍結することも、あのネジ1つで可能なのよ。

 

たしかにウィルを目覚めさせるとき、ネジを締めたけれど。

あのネジを抜くことで精霊人形を…ウィルを凍結できるなんて知らなかった。

 

Gl:そしてネジを半開きの状態にすると、霊体が不安定になってああなるのよ。

 

言ってグロリア様は、視線をルディに向けた。

 

H:…………。

 

胸に裁縫箱を抱えたルディの足取りは、硬く、ぎこちなく。

転ばないのが精一杯…そんな様子だった。

 

おそらく。

オーナーによって与えられた“半凍結”とでもいうこの状態は、精霊人形の体の自由を制限するものなのだろう。

 

じゃあ、心は…?

 

H:…………。〔無表情〕

 

美しくやさしげなその顔に表情はなく、サファイアに似たその瞳はただ虚ろだった。

 

私とウィルにまったく無関心であること。グロリア様への受け答え。

 

それらと併せて考えると、その心もまた、なんらかの制限を受けているとしか思えなかった。

 

今のルディはまるで、決まった動きだけを繰り返す“機械仕掛け”のようだった。

 

Gl:ただし、魂を宿した人形のネジを開け締めできるのは、オーナーに限られるけど。

 

「オーナーに限られる」

 

…また、オーナーだけ、なのね。

オーナーは自分の人形に対して、なんて重い権限が与えられているのだろう。

 

やっとグロリア様の前にたどりついたルディは、美しい装飾が施された裁縫箱をテーブルに置いた。

 

Gl:さあ、準備をなさい。

 

H:……はい。

 

グロリア様に促され、ルディは裁縫箱を開けた。

針、ピンクッション、糸巻き、メジャー、針受、糸切ばさみ、ものさし…。

裁縫に必要な道具が、そこに整然と納められていた。

 

Gl:お話は手仕事をしながらでいいかしら。

  もうすぐ従妹の誕生日なの。彼女のための贈り物なんだけど。

 

主:…はい。

 

親しい人に手芸品を贈る。それはごく普通のことだ。

でも、なにも今、そんなことをしなくても…。

おかしいと思った。

でも、「はい」と答えるしかない。

 

Gl:ルディ、さっさとなさい。

 

裁縫箱を開けたまま、ぼんやりしているルディにグロリア様は言った。

 

H:…はい。

 

ルディは、右手でピンクッションから1本の待ち針を取ると。

 

H:…!

 

自らの左手の甲にそれを突き刺した。

 

主・W:!!

 

ルディは、再びピンクッションに右手をのばし、待ち針を取ると、また自らの左手の甲に刺した。

 

H:!

 

主:ルディ!何をしてるの!?

 

私は思わず叫んだ。

 

Gl:ルディは針仕事の手伝いをしてくれているのよ。

  自分の手をピンクッション代わりにしてね。

 

主:!!

 

こんなの手伝いのわけがない。

これは罰なのだ。

 

おそらく半凍結のルディは、昨日と違って、グロリア様に何を命じられても逆らえないのだ。

だからこそグロリア様は、ルディに自分で自分を傷つけさせているのだろう。

心身に“枷”をはめられたルディは、今、自分が自分に何をしているのかもよくわかっていないのかもしれない。

“オーナーが命じるから”

それだけの理由でルディは、もう1本待ち針を取り、再び自分の手の甲に突き刺した。

 

H:!〔顔をしかめる〕

 

主:!!

 

ルディが痛みを感じているのはあきらかだった。

…そうね、痛みを感じさせられなければ罰にならない。

 

グロリア様は、精霊人形がオーナーの前でいかに無力であるかということを…所詮人形は人形であるということを、私に見せつけようとしているかのようだった。

 

Gl:いつまでのろのろやっているの?

  私が手伝ってあげるわ。

 

そう言ってグロリア様は立ち上がり、ピンクッションから針を取ると。

ルディの手の甲に思い切り突き立てた。

 

H:ああっ!!

 

たまらずルディは、体をのけぞらせ、悲鳴を上げた。

 

Gl:さあ、もう1度手をお出しなさい。針はまだあるのよ。

 

私はウィルを見た。

 

W:……………。

 

ウィルは、醒めきった目で成り行きを見ていた。

 

ウィル…。

ルディが…自分の仲間がこんな目にあっているのに、なんとも思わないの…!?

 

H:…はい。も…申し訳…あり…ません…。

 

ルディは、1度引いた手を再びグロリア様の前に差し出した。

ルディの手の甲には、すでに4本の針が刺さっている。

 

Gl:そう、いい子ね。

  あなたが本当のいい子になれるように、私が正してあげるわ。

 

そう言ってグロリア様は再び針を取り、その手を振り上げ…、振り下ろした。

 

主:やめてください!

 

H:!

 

Gl:!?

 

W:!

 

主:…………。

 

針は。

私の手に刺さっていた。

5本目の針が、ルディに突き立てられようとした瞬間。

私は、ルディの前に自分の右手をかざしていた。

その結果、針は狙いを大きく外れ、私の右手の甲に突き刺さった。

 

Gl:………!

 

私は手の甲から針を抜き取った。

ほんのわずかだったけれど、皮膚に血がにじんでいた。

…痛い。

1本刺さっただけで、こんなに痛いのに…。

 

私は、黙ってルディの手の甲に刺さっているすべての針を抜き、床に捨てた。

 

主:…グロリア様。もう、おやめください。

  私の何がそんなにお気にさわったかはわかりませんが…。

  グロリア様の前に姿を現すなとおっしゃるなら、2度と姿を見せません。

  ルディに会うなとおっしゃるなら、それもお約束します。

  ですから、どうか、…どうかもうルディを許してください…!

  お願いします…!!

 

Gl:……………。〔呆然と目を見開いている〕

 

グロリア様は呆然と私を見ていた。

思いがけず私を…人間を傷つけたことは、グロリア様の曇った心に、何か影響を与えたのかもしれない。

 

……どうしてこんなことになってしまったのだろう。

あの楽しかったお茶会はつい最近のことだというのに。

あのときグロリア様を、やさしくて美しい、素敵なレディだと思った私は間違っていたの…?

 

W:…グロリア。

 

初めてウィルが口を開いた。

 

W:お前がお前の人形をどう扱おうと、お前の勝手だ。

  だが、俺のオーナーに手を出すと言うのなら、黙っているわけにはいかない。

 

………ウィル…。

本気で、怒ってる?

不機嫌なときの声とも違う。

こんな凄みのある声色は聞いたことがなかった。

 

ウィルはグロリア様の前に進み出た。

グロリア様はウィルに気圧されるように後ずさった。

 

Gl:!

  な…何よ!

  あなた、人形のくせに…人間に逆らうつもり!?

 

W:ああ、俺はお前の人形じゃないんでね。

  精霊人形は、自分のオーナーを守るためなら、相手が人間だろうが、人形だろうがいつでもやり合う用意はある。

  それはあいつも同じだ。

  もっともあの木偶の坊じゃ、ボディガードとしてはまったくの役立たずだろうがな。

 

H:……………。

 

ルディは無表情だった。

ついさっきまでは痛みに顔をゆがめていたけれど、今、彼の顔からはすべての感情が消え去っていた。

 

自分自身を失った精霊人形。

それは、自ら動いたりしゃべったりできたとしても、操り人形の範疇でしかないのかもしれない。

ルディを見る限り、オーナーの操り人形と化した精霊人形では、人間並みの役割や、人間的な行動を求めることは到底できそうになかった。

 

Gl:……………………。

  ………………。〔ため息〕

  …わかったわ。

 

グロリア様は私たちから目を逸らし、眉をしかめていらした。

 

Gl:ルディを……。

  許します…。

 

主:本当ですか?

 

Gl:ええ。約束するわ…。

 

そうおっしゃったグロリア様は、すっかり疲れきっているようだった。

誰かを傷つける…それは、傷つけた人間まで消耗してしまうものなのかもしれない。

グロリア様がご自分を取り戻してくださったのならいいのだけれど…。

 

 

〔街〕

私たちは家路についていた。

 

あの後、グロリア様はルディのネジを締めてくれた。

その直後、ルディは休眠に入った。

1度不安定になった霊体は、休眠によって安定させる必要があるのだそうだ。

休眠から覚めればまた元に戻るのだとグロリア様はおっしゃった。

 

嫌な気分だった。

グロリア様の残酷な罰も。

ルディの、あのおどおどした姿も。

そして…ウィル。

最後はウィルが助けてくれたのだけれど…。

でも…。

 

主:ウィル。ウィルは、自分の仲間があんな酷いことをされていて、平気なの?

 

知らず知らずのうちに、語気が強くなる。

 

主:どうしてもっと早く、グロリア様を止めてくれなかったの?

  ルディをかばってあげなかったの?

 

私は、残忍なグロリア様、惨めなルディ、そして、事の発端になった自分自身…すべての苛立ちをウィルにぶつけていた。

 

W:……………。

  お前が、人形とオーナーの関係をどう考えてるかは知らねえが。

  精霊人形はオーナーに魂を握られている。

  そして魂の意志は、人形の意志を、ひいては身体を支配する。

  だから、最終的に人形はオーナーに服従するしかない。

  それが精霊人形という器に生まれついた者の宿命…それだけだ。

 

主:………!

 

精霊人形の宿命…。

ウィルはそう割り切って生きているのだろうか?

 

W:……………。

 

違う。

ウィルは、きっと今、怒っている。

そして、傷ついてもいる。

割り切ろうとして…割り切れないでいるのではないか…そう思った。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

〔叔父邸・外観〕

ようやく家に着いた。

でも、気分はまだ少しも晴れなかった。

 

 

〔玄関口〕

〔少女・後ろ姿〕

…?

誰かいる。

あれ…。

あの後ろ姿…見覚えが…。

 

主:モニカ?

 

〔少女・正面〕

モニカ(以下M):あっ…アストリッド…。

 

一瞬、気まずい空気が流れる。

私は学院での、彼女の冷たい横顔を思い出していた。

 

あの噂が目立って囁かれるようになって以来、モニカは口さえきいてくれなくなっていた。

あの噂のせいで一変してしまった学生生活のことを、私は久しぶりに思い出した。

 

M:あの…アストリッド。

  ごめんなさいっ!

 

主:えっ…?

 

M:本当にこれまでごめんなさい。私、ずっと後悔してたの。

  あなたは何一つ悪くないのに…あなたと仲良くすることで他のクラスメイトから仲間はずれにされるのが恐くて、口もきけなかった。

  でも、今は反省しているの。

  辛いときこそ、助けるのがお友達でしょう?

  あんな噂に振り回されてた自分が恥かしい…。

 

主:モニカ…。

 

M:ねえ、アストリッド。私を許してくれる?

 

私は強く頷いた。

許さない理由なんてあるわけない。

 

主:もちろんよ。

  こうして会いに来てくれて…本当にうれしいわ。

 

M:ああ、アストリッド!ありがとう!!

 

モニカはそう言って、私に抱きついた。

 

あのときは、本当に辛かった。

でも、こうしてモニカは私のところに戻ってきてくれたんだもの。

過ぎてしまったことはもういいわ。

きっとこれからは、これまで以上の友達になれる…。

 

主:さあ、上がって。すぐにお茶の用意をするわ。

 

M:ええ、ありがとう。

  …ねえ、アストリッド。こちらは…?

 

言ってモニカはウィルを見た。

 

W:………?

 

主:えっ?あ…えーと。

  …叔父さまのお友達よ。

  今、このお屋敷に滞在しているの。

  ねっ。そうよね、ウィル。

 

W:…あ?

 

ウィル、お願い、話を合わせて…。

私はウィルに目配せした。

それでウィルも察したのか

 

W:…ああ…まあ、そんなところだ。

 

主:ウィル、こちらは私のクラスメイト、モニカ。

 

M:初めまして。モニカ・ブラインと申します。

  今日はお目にかかれて光栄です。

 

そう言ってモニカはにっこりと微笑んだ。

 

M:……………。〔にっこり笑顔のまま〕

 

微笑んで、じっとウィルの顔を見つめている。

 

W:……?〔若干困惑気味〕

 

私は内心落ち着かなかった。

まさかウィルが人形だってばれることはない…と、思うけど…。

 

主:さあ、モニカ、上がって。ねっ。

  いろいろお話聞きたいわ。

 

こらえられず、私が切り出した。

 

M:え、ええ。おじゃまします…。

 

 

〔リビング〕

モニカはこの街にお婆さまがいるのだそうだ。

それで私と同じように、夏期休暇をこの街で過ごしていたのだった。

 

私たちは時間を忘れておしゃべりに興じた。

 

 

〔玄関〕

M:今日はとっても楽しかったわ。

  思い切ってここへ来て本当によかった…。

 

モニカ…。ありがとう。

 

M:今度は家にも遊びに来て。

 

主:ありがとう。近いうちにきっと行くわ。

 

M:ふふっ。楽しみにしてるわ。

  ………………。〔ふいに顔を曇らせる〕

 

…?

 

M:あのね、アストリッド。

  さっきのあの人ね…。

 

あの人?

ウィルのこと?

 

M:何だか、おかしいわ…。

 

!?

 

M:ご、ごめんなさい。

  初対面の人にそんなこと言うの、失礼よね。

  でも、何だかあの人って…。とっても綺麗な人だけど…。

  どうしてかな、あんまり関わらないほうがいいような気がする…。

 

そう言ったモニカは、はっきりと顔を曇らせていた。

 

でも。

 

M:ご、ごめんなさい。ヘンなこと言って。〔ぎこちない笑顔〕

  じゃ、これで失礼するわ。

 

主:えっ。ええ。また、いつでも遊びに来てね。

 

M:じゃ、また。

 

〔モニカ退場・ドアの開閉音〕

 

ウィルへの疑惑の言葉を打ち消すように、笑顔を見せてモニカは帰っていった。

 

……………。

 

ウィルが人形だなんて、ばれてはいないと思う。

でもモニカは、ウィルが人間ではないことを気配で感じ取っているというの…?

 

主:…まさか。ウィルの正体を見破った人はこれまで1人もいないわ。

 

私は小さくつぶやいて、その考えを頭から追い出した。

 

 

〔夜・主人公の部屋〕

今日は1日、いろいろなことがあった。

 

ルディ…グロリア様…ウィル…、そしてモニカ。

モニカと仲直りできたのはうれしかったけれど。

モニカの“彼には関わらないほうがいい”という言葉は、マクファーレン邸での出来事ともあいまって、私の精霊人形に対する漠然とした不安を煽った。

 

……………。

 

…ううん。大丈夫よ。

グロリア様はルディを許して下さったし。

ウィルは私を守ってくれたわ。それに、ウィルは私のために戦ってくれると言った。

その言葉を聞いたとき、私はうれしかった。

たとえ、その言葉の真意が“オーナーという役割を果たす人間のため”であるとわかっていても。

 

そうよ…大丈夫。

精霊人形はとても不思議な存在で…不安に思うこともあるけれど。

でも、大丈夫…。

 

私は自分にそう言い聞かせて、部屋の明かりを消した。

 

 

<翌日>

 

〔リビング〕

S:今日は…ウィルの“あの日”か。

 

主:ええ。もう、ウィルはお部屋で待ってるわ。

 

“あの日”…接蝕日のことだ。

 

主:叔父さま、今回は?

 

この間は接蝕に叔父さまも立ち会ってくれたのだ。

 

S:んっ?……今回は、というより、もう様子はわかったから遠慮するよ。

  んー…。何ていうかな、アレはなかなかプライベートな行為だな。

  他人が目にしてはならないものって感じが…。

 

???

 

叔父さまの言い方は少し気になったけど、とにかく、もう立ち会う気はないみたい。

 

主:じゃあ、行ってきます。

 

 

〔ウィルの部屋〕

主:じゃあ、始めましょう。

 

W:…ああ。

 

この間と同じように、ウィルは私の前で屈み、床に片膝をついた。

 

私はウィルの額に左手のひらを置いた。

 

目を閉じて、ウィルに意識を集中する。

 

まもなく、あの乾くような感覚が私の内側に這い登ってきた。

 

と、そのとき。

 

?:…………。

 

息の音が聞こえた。

 

ウィル…?

 

意識はウィルに向けたまま、私は目を開けた。

 

W:…………。

 

ウィルの体は、青白く発光していた。

その淡く冷たい光は、雨の夜、ランタンの中で燃えていたあの不思議な炎を私に思い出させた。

 

W:…………。

 

呼吸音はウィルのものだった。

ウィルは、深く肩で息をしていた。

 

人形はしゃべるために呼吸をするけれど、生きていくためには呼吸をしない。

それなのに、今、こうして深く息をしているということは。

やはり精霊人形にとって、接蝕がとても特別な行為だということなのだろうか…?

 

ウィルは眉を開き、私を見上げていた。

焦点がよく合っていない虚ろな目で。

“恍惚”…そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

人間が食事によって空腹を満たすように、睡眠によって休息を得るように。

精霊人形は接蝕によって生命を充填しているのだ。

 

私を見上げるウィルはまるで無防備で。

身も心も、すべてを私に委ねきっているかのようなその様子は、どこか幼ささえ漂い。

姿こそ同じでも、今の彼は普段の彼とはまるで別人のようだった。

 

私は、彼の秘密を覗き見ているような気持ちがした。

そして彼の渇きを癒せるのは私だけなのだという思いは、私の胸を甘く締めつけた。

 

………どれくらいそうしていただろう。

やがてあの感覚が去り、ウィルを包んでいた淡い光も消えた。

 

主:ウィル…?

 

私は呼びかけた。

 

W:……………。

 

返事はなかった。

 

もう、眠ってしまったのね。

 

私はウィルの額から左手を離した。

少し乱れた、彼の前髪を整える。

空を見つめるウィルに私は言った。

 

主:おやすみなさい…ウィル。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(4)

〔リビング〕

私とウィルがグロリア様のお屋敷を訪ねてから、数日が経っていた。

 

グロリア様のおっしゃった通りなら、とっくにルディは元に戻っているはずだったけれど。

私が顔を出すことで、またグロリア様のご機嫌をそこねるのではないかと思うと、行って確かめることはできなかった。

 

〔呼び鈴〕

 

あ、お客様?

 

私は玄関に向かった。

 

 

〔玄関〕

H:こんにちは、お嬢さん。ご機嫌いかがかな?

 

主:ルディ!

 

ルディは初めて会ったときと変わらない、きらきらした笑顔を私に見せてくれた。

ああ、元に戻ったのね。よかった…本当によかった。

 

H:この間はみっともないところを見せちゃったね。

  でも、喉元過ぎればなんとやら。人形なんて現金なものさ。

  ネジさえ締まれば、ほら、この通り。

 

ルディは、少しおどけた口調でそう言った。

 

主:ふふっ。もう、ルディったら。

 

うれしい気持ちも手伝って、私も笑顔になる。

 

主:あ…。

  ところで、グロリア様は…?

 

H:グロリア?

  …ああ、なんか落ち込んでたよ。

  冷静になって考えれば、2人の前で醜態さらしたわけだし。

  当分はヒステリー起こす元気もないんじゃない?

 

ルディが元に戻ったのはうれしいけれど。

もしもルディがグロリア様の苦しみを心からわかってあげられたら、グロリア様の傷も早く癒えたかもしれない…。

 

と、ふいにルディは真面目な顔になった。

 

H:ねえ、アストリッド。…本当にありがとう。

  こうやって元に戻れたのは、全部君のおかげだよ。

  人形はあんな状態でも、目も耳も、ちゃんときいてるんだ。

  だから、君が僕にしてくれたこと、僕は全部知ってる。

  僕のせいで受けた傷は、もう痛まないかい?

 

そう言ってルディは私の手を握った。

 

主:!

  えっ…ええ、大丈夫よ。

  ちょっと刺さっただけだったし…。

 

H:よかった。僕はずっと心配だったんだ。

  あの傷が元で君が死んでしまったらどうしようって。

 

心配してくれるのはありがたいけど、いくらなんでも大げさすぎる…。

 

主:私よりルディはどうなの?傷は?

 

人間の傷は時間が経てば治るけれど。

人形の傷は…?

 

H:僕は大丈夫。

  精霊人形には復元力があるんだ。

  もっとも、復元できるのは表層的な傷に限られるけどね。

  ああ、そんなことよりアストリッド。

  君は、可愛いだけじゃなく、やさしくて、勇気もあるんだね。

  僕はとても感動したよ。君は僕の恩人…いや、天使だよ。

 

ルディの顔が私に迫る。

白い額にかかる金色の前髪がさらりと揺れ、青い瞳が私を見つめた。

 

主:…!

 

熱を帯びた眼差しを送る、そのサファイアの瞳に。

私の胸は一瞬、一際高く鳴り、目は釘付けになっていた。

 

…………精霊人形って、どうしてこんなに綺麗なんだろう…。

 

H:ああ、アストリッド。

  僕は君の靴先になら、心からの敬意をもって口づけられるよ。

  でも、許されるなら君の唇に…

 

ル、ルディ…!?

 

W:元に戻ったらさっそくおべっかか。

  あのときグロリアに口を縫いつけられりゃよかったんじゃねえか?

 

主:ウィル!

 

私は思わず声を上げた。

私の声に驚いたのか、それとも突然姿を見せたウィルを気にしてか。

とにかくルディは私の手を放してくれた。

 

H:おべっかとは失敬だな。

  仲間を見殺しにした君にそんなこと言われたくないね。

 

W:仲間!?

  ふん…勝手に腹黒仲間にするんじゃねえよ。

  それに、そんなに靴にキスしたきゃ靴屋に行け。

  で、靴屋の親父に踏んづけられろ。

 

主:ちょっ…ちょっとウィル。

 

不機嫌全開のウィルを私はたしなめた。

お友達同士とはいえ、せっかくルディが元気な姿を見せに来てくれたのに。

 

H:ウィル、君の口の悪さは相変わらずだね。

  あいにく僕は、踏んづけられて喜ぶような趣味はないよ。

 

W:ああ、そうだな。

  お前は踏んづけて喜ぶ方の趣味だったな。

 

…………………。

 

H:………。〔咳払い〕

  ウィルの下品な冗談に付き合うのはこれくらいにして。

  …ねえ、アストリッド。

 

主:?

 

H:君は僕の希望そのものだ。

  僕はいつか君を。

 

私を?

 

H:自分のものにしたいな。

 

主:!?

 

W:!

 

H:じゃ、僕はこれで失礼するよ。

  またね、心やさしい僕の天使。

 

〔ルディ退場・ドアの開閉音〕

 

ルディは最高の笑顔で最後の言葉を締めくくると、私たちの前から立ち去った。

 

W:……チッ。まったくホブの野郎は最後の最後まで…。

  おい、アストリッド。お前に忠告してやる。

 

主:?

 

W:ホブの言うことを真に受けるな。

  あいつの褒め言葉は100%嘘っぱちだ。

  だから今聞いたことは全部忘れろ。いいな。

 

主:え?

 

W:…………。

 

〔ウィル退場〕

 

それだけ言うと、ウィルは奥へ行ってしまった。

 

………………。

 

ウィルはああ言ったけれど。

 

「君を自分のものにしたいな」

 

あの言葉を忘れるなんて、できそうになかった。

 

 

第4章