プロローグ

時代…19世紀末。

舞台…ヨーロッパ、架空の小国コートウッド。

〔黒背景〕

旅行鞄を手に、私は汽車を降りた。

 

 

〔駅〕

ここはオルノー駅。

この駅は、私が暮らす首都ハイアベルグのものに比べたら規模は小さかったけれど、地方都市にふさわしい活気に溢れていた。

 

この駅に降り立つのは、今日で何度目だろう。

私は見覚えのある駅舎に目をやりながら、両親と一緒に改札を抜けた日を懐かしく思い出していた。

 

最後にここを訪れたのは、かれこれ4年ほど前になるだろうか。

 

〔暗転〕

駅を出た私は辻馬車に乗り、目的の場所へと向かった。

 

 

〔街・馬車の音〕

私が汽車に乗ってはるばるこの街までやって来たのは、長い夏期休暇を叔父さまのお屋敷で過ごすためだった。

“叔父さま”というのはお母さんの弟で、私にとってはたった1人の“おじ”であり、

今は私の後見人でもあった。

 

――私は逃げ出したかった。

私が今いるあの場所から。

 

のどかな蹄の音を聞きながら、私はぼんやりと昔のことを思い出していた。

 

〔暗転〕

私が両親を流行病で亡くしたのは、3年前…14歳のときだ。

家は特別裕福というわけではなかったけれど、日々の暮らしに事欠くことはなく。

私は、多くの子供たちと同じように、学校に通い、家事を手伝い、友達と遊んで毎日を過ごした。

 

両親との別れは早かったけれど…私は14年間、2人の愛情にしっかり包まれていたと今も…ううん、今だからこそ余計にそう思う。

 

両親を亡くした後、私は母方のお爺さまに引き取られた。

お爺さまは銀行家だった。

お爺さまは、女の子でも高い教養が必要と考えて、私を寄宿制の女学院に入れてくださった。

そこで2年間私は教養全般を学び、その後は経済学を専攻した。

ゆくゆくはお爺さまのお手伝いが出来れば…そう思ったから。

 

学生生活は、ごく穏やかなものだった。

 

でも。

そんな穏やかな生活が変わってしまったのは、今から3ヶ月ほど前のことだ。

 

お爺さまに仕事上での不正疑惑がかけられたのだ。

 

お爺さまは不正をするような人ではない。

……私の知っている限りにおいては。

そして、お爺さまはこの黒い噂について私に何も話さなかったし、決定的な事実が白日の下にさらされたわけでもなかった。

だけど、要職に就いていたお爺さまへの疑惑は、やがてあたかも事実のように語られ、それは誹謗中傷となって、お爺さま、そして孫の私に及んだ。

 

クラスメイトは私に挨拶さえ返さなかった。

先生たちもあからさまに好奇の眼差しを私に向けた。

 

とりわけ辛かったのは、モニカにまで拒まれたことだった。

 

モニカ。クラスメイトで、ルームメイトで。私の1番の友達。

少なくとも私はそう思っていた。

でも、そのモニカでさえ、今は目も合わせてくれない。

 

私は孤立していた。

 

そんな日々を過ごすうちに、お爺さまは突然亡くなってしまった。

心臓の病気だった。

 

お爺さまを失った今、あの街に私のことを思ってくれる人はいない。

私は一人ぼっちだ。

 

………………。

 

ここまで思い出して、私は軽く頭を振った。

 

〔暗転明け〕

もう、やめよう。

私は嫌なことを忘れるためにここへ来たはずだ。

叔父さまだって私のことを心配している。

お仕事でとても忙しい体のはずなのに、叔父さまは私をお屋敷に招いてくれた。

しかも、夏期休暇中という長い期間を。

それは、お爺さまのことでふさいでいた私を気づかってのことに違いなかった。

 

叔父さまはきっといつもの明るい笑顔で私を迎えてくれる。

そして、いつものように面白い話をいろいろ聞かせてくれるだろう。

 

それにあのお屋敷には広い庭がある。

今は薔薇が盛りのはずだし、そろそろベリーやプラムも取れるはずだ。

庭で取れた果物でお菓子を焼いて、薔薇を眺めながら叔父さまとお茶をしたら、きっと、とても素敵。

 

書斎にはたくさんの本があったから、読書で1日を過ごすのも悪くないし…。

 

たまには街に出て、お芝居や音楽を楽しむのもいい。

今年はどんな催しがあるかそのうち調べよう。

 

それから、勉強もがんばらなきゃ。

この街には大きな図書館もあったし、時間は十分あるんだもの。

きっと良いレポートが書けるはずだわ…!

 

と、ふいに私は笑ってしまった。

 

私、はしゃいでる。

 

でも、こんなはしゃいだ気分は本当に久しぶりで、私はこの陽気な気分に身を任せることにした。

 

…そうよ、夏休みはたっぷりある。きっと楽しいこともたっぷりあるわ!

そして夏休みが終わる頃には。

皆、あのつまらない噂を忘れてしまっているに違いない…。

 

私はつとめて楽観的であろうとしていた。

 

私は、“楽しいこと”で頭を一杯にすることで、目を逸らさなくてはならなかった。

いつからか私の胸の内側に、黴のようにはびこりだした暗い“影”から。

 

 

〔叔父邸・外観〕

馬車を降りた私は、お屋敷を見上げた。

 

4年前訪れたときと変わらない外観。

 

その様子に、私は少しほっとした。

 

きっとお屋敷では、叔父さまが私の到着を待っていてくれるだろう。

 

私は、玄関に向かって歩き出した。

 

〔暗転〕

……………。

 

〔やがて雨音〕

 

 

〔暗転明け・リビング(夜)〕

雨音が広い邸中に響いていた。

私は1人、その雨音を聞くともなしに聞いていた。

 

お屋敷で私を迎えてくれたのは、叔父さま…ではなく、家政婦のミセス・デイビスだった。

 

お屋敷の近くに住んでいるデイビスさんは、住み込みの家政婦さんではなかったけれど、このお屋敷の家事全般を請け負ってくれていた。

叔父さまの在宅中はもちろん、叔父さまが留守の間も、週に何度かやって来てはお屋敷内の雑多な用事をしてくれている。

仕事の関係上、叔父さまは数ヶ月お屋敷を空けることも珍しくなかったから、住み込みの家政婦さんまではたぶん必要がなかったのだろう。

 

そのデイビスさんによると、叔父さまはお仕事の都合でこちらに来るのが1日ほど遅れる、とのことだった。

 

叔父さまは実業家だった。

詳しいことは知らないけれど、外国の品を扱う会社を経営していて、お仕事の一環としていろんな国を旅していた。

そしてその仕事が十分成功していることは、若くしてこんな立派なお屋敷を買い取ったことでも明らかだった。

 

“若くして”というのは、叔父さまがこの屋敷を手に入れたのはもう10年ほど前のことだからだ。

そして私が初めてここを訪れたのは、やはり10年ほど前になるだろうか。

 

そんなことを考えながらお茶を飲んでいた私に、デイビスさんが少し困ったような顔で話しかけてきた。

実は、朝から子供さんが熱を出して寝込んでいるのだと。

私は、すぐにデイビスさんに帰ってもらった。

 

お屋敷には私1人になった。

 

私がここへやって来るまではいいお天気だったのに、夕方からは一転、激しい雨になった。

そして、夕食を済ませる頃には勢いこそだいぶおさまっていたけれど。

それでもまだ雨は降り続いていた。

 

……いったい、いつ止むのかな…。

 

そう思っていたときだった。

 

〔呼び鈴〕

 

叔父さま?

デイビスさんには、到着は明日だって聞いたけれど…予定が早まったのかな?

 

私は、急いで玄関に向かった。

 

〔暗転〕

………………。

 

〔荷物を置く音〕

〔暗転明け・リビング〕

私は、受け取ったばかりの荷物をテーブルに置いた。

 

呼び鈴を鳴らしたのは郵便屋さんだった。

途中で事故があり、配達がこんな時間になってしまったのだそうだ。

 

私は荷物に目を落とした。

雨で滲んだ差出人の名前を読む。

 

“サイラス・リード”

 

それは叔父さまの名前だった。

どうやらこれは、叔父さまが自分自身に宛てた荷物のようだ。

 

激しい雨の中をやって来たからだろう。

荷物はすっかり濡れそぼっていた。

 

この雨では仕方なかったと思うけど…。

中身…大丈夫かな?

 

私は中身のことが気になった。

 

濡れては困るものだったら、早く出して乾かさなきゃ。

でも、人の荷物を勝手に開けるなんて…。

 

そう思ったけれど、差出人は叔父さま自身だし、雨のせいで中身が台無しになってはいけない。

 

私は、思い切って荷物を開けることにした。

 

〔暗転・荷を解く音〕

包みを開けて、私は思わず息を吞んだ。

 

〔暗転明け〕

荷物はランタンだった。

 

私が息を吞んだのは、ランタン自体にではない。

ランタンが燃えさかる炎を灯していたからだった。

 

炎を灯したまま荷物としてランタンが送られてくるなんて、そんなこと…。

 

訝しく思いながら、私はそれをより注意深く見た。

 

ランタンに宿る炎は不自然に青白く、寒々とした光を放っている。

 

そして何より不思議なのは、この炎が蝋燭に灯っているのでもなければ、ランタンに備えられたバーナーによって燃えているのでもないということだった。

 

炎はただ一塊の火の玉であり、その身を大きく波打たせながら燃えていた。

まるで、生きて呼吸をしているかのように。

 

私はいつしか、この奇妙な光景から目を離せられなくなっていた。

 

もしかしてこのランタンは照明器具ではなく、籠のようなものではないか。

鳥は鳥籠に、虫は虫籠に入れられるように。

“生きた炎”はランタンに入れられる……。

 

………………。

 

“生きた炎”だなんて。

我ながら馬鹿げた考えだと思った。

 

だけどそう考えると、この炎の謎が一気に解けるような気がした。

不可解な青白い輝きも。

自らの力で燃え、うねっているということも。

 

そして、この“生きた炎”は意志を持ち、私に何かを望んでいる。

 

“何か”?

………何を?

 

私はいつしかランタンの蓋に手をかけ、それをはずしていた。

………炎の求めるままに。

 

監禁が解かれたことに気づいた炎は。

ゆっくりとその“籠”から抜け出し。

私の背丈を越え。

やがて天井近くまで上っていった。

 

霊魂というものが本当にあるなら、こういうものかもしれない…。

 

そう思いながら、『』ぼんやり見上げている私の頭上めがけて。

炎は、真っ直ぐに落ちてきた。

 

 

『ひとつめのおはなし』Will-route:第1章

 

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